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読書らんぷと世界観全体に公開
2006年07月25 日09:04
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市川塩浜駅ホームで、電車を待ってると等身大の巨大記号が目に入った。そこに描かれた落書き。
なんだ?
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ふっと、網野善彦の一文がよぎる。
曰く
「文書がその時代のすべてのことを書き記すとは限らない。人は、関心のあったことだけを書く。」

史学にとっては、文献が命である。しかし、かつて日本の中世、紙も貴重で漢字で記すことの出来た人間の興味が、(職業的に)土地、財 産、権利の保証や年貢だとすればせいぜいそこからみえてくるのは、隣の人と、家の柱くらいのものか?絵だって、文学だって、音楽だって、ココには載ってこ ない。
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非常に近視眼的だとおもうね。これが後生大 事に公文として延々と残り、これに運悪く凡凡とした現代の歴史家が、公文書の界隈を一回りしただけでさらに運悪く教科書なんて作ったらいったいどうなるん だろう。

網野義彦の優れている点は、いまある資料や文献が、当時の時代の姿としては欠損した不完全なものであるというあ たりまえのことに闘争心を持ってることだ。
例えていうなら超複雑な漢字の半分以上が欠けていてさっぱりわからないという状態。これの完全な姿;わからないから、解りたいという 強い欲求。

文献だけじゃ無理だと思うから、結果として網野さんは、モノ派(こっちは、文献じゃなくて、発掘物が命)の考古 学や、現代に残る未開を探求する民俗学や、民族学とコラボレーションを切望する。
そこから生まれる事実を、それまでに積上げた事実+想像を取捨選択したながら用心深く繋いで編んでゆく。すると、もっと俯瞰した世界 がみえてくるのでは?と強烈に期待をもたせる。

今、わたしの中だけで、網野さんカンブリアン・ゲームが進行中だ。

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【のぼりくだりホームと改札を直結するエレベータ工事の目隠し】

ここに願わくば、もっと広範な才能を拮抗させてそのままフリーズドライして、いや、投稿可能な状態で、ネットを活かしたままで過去と 未来に贈りこみたいところだ。
公文書や襖の下ばりとして必然、偶然に残るのではなくて。


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