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岩坂先生のこと全体に公開
2006年09月09 日11:46
▼この写真は、ちょうど20年前。わたしが自分の一眼レフカメラを持ったことがうれしくてやたら シャターを切っていたときの一枚。
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画家、そして「渋谷美術研究所」所長の岩坂義樹さん、亡くなる。
(2006年08月26日、67歳)

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ここ数年喉頭がんを患っていたときく、しかし67歳という年齢が 惜しまれる。まだまだこれから一仕事ではなかったのか。

わたしは、ムサビ卒業後すぐこの研究所に在籍して1987年頃までこの創作の交差点を行き来した。
わたしの作品「貌(かんばせ)」は、この環境の中からうまれた。実は、モデルはほとんど 身近な人ばかり。タブロー制作のまにまに描きためたものだ。京王線の明大前下車1分、ビルの最上階にあった研究所は、真ん中にモデルさんが居てまわりに 20名も入れば酸素が足りなくなるようなこじんまりした一室にみっちりした時間が流れていた。

 研究所の運営方針は、
「リアリズムの方向をめざし、プロ養成にあたり、残念ながら受験生はお断り。」
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石膏像をぶち割り、大晦日には、年越しデッサン会開催。とびっき りのモデルさんの裸体を拝みながら新たな年を迎える。研究生は、絵描きとは限らない。難解な数式のことしか語らない女や、小劇場の演出家と役者たち。そこ にビジターとして時々著名な彫刻家や画家も研究生たちと肩を並べてイーゼルを立てる。

【1986年ころの夏の合宿1】
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【夏合宿2/副所長の清水さん、岩坂さん、 幸っちゃん。背景に溶け込む二人の若者は、鎌学美術部部員、ルードとスズキか?】
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岩坂先生のもうひとつの顔、日本最古の禅寺 として有名な建長寺にある鎌倉学園(中高一貫の男子校)の名物美術教師として、また鎌倉の文化人達の間では‘岩さん‘としても多くの人々と親交があった。 ★サザンの桑田も教え子よ。
このMixi内でも、鎌学の教え子たちがトピックをたてて弔っている。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9879358&comment_count=16&comm_id=45469

岩坂義樹プロフィール

1939年生まれ 福島県白河市にて少年時代を過ごし、画家であった父喜好に手ほどきをうけ、父死去の後にその 友人、版画家福田年秋氏に師事する。鎌倉では、大宮松太郎、金沢重治画伯に師事する。武蔵野美術学校(現美術大学)では、山口長男、森芳雄、麻生三郎はじ め多くの画家に薫陶をうける。在学中日本版画院新人賞・会友推挙・退会後日本美術会々員になり日本アンデパンダン展に出品しつづける。毎年2回個展。
1962年美校卒業後各研究所講師を経て1966年渋谷美術研究所を友人達とともに創立する。所長としてリアリズムの方向をめざし、 プロの養成にあたり今年で20年になる。
1973年 ベルリン世界平和友好祭文化部門の日本代表とし参加し作品発表、美術館収蔵。現材鎌倉学園にて美術を教えるかたわら、個 展・グループ展等をはじめとする美術活動に参加し現在に至る。

(1986年開催の、岩坂義樹「現風景」展 /わたくし美術館 北鎌倉小舎より)



ご冥福を祈る。

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