▼「虹の階梯」(中沢新一)、p.78
チベット密教を修行するにあたっての心がまえ中の一文に、がっびーんときた。
”意味は理解してるが言葉を覚えてない。どんな言葉がそこで語られたか覚
えていなければやせ細った概念だけが残って、ニュアンスに富む教えの多面的なところは、ついにわからずじまいになる。”
思わず、膝を打って人生ではじめてp.78
;書物
の縁をおる。
それでも心配になってページをもどって文字列に線を引くという禁じ手にでた。
人生ではじめて,,,,↑マジかよって
(笑)?
うん、たぶん。
そもそも図書館に足を向けたのも本の面白さに目覚めたのもせいぜいここ十年くらいのことだ。
この遅きに逸した経験を、当時ちょいと癖のある月刊誌をめざした「
CAPE-X」
の中に
書いている。
以来、完璧な図書館っこ(だった)。
ところが今、わたしの足もとには、中沢新一系統、杖道および併伝の剣術関連、美術系統、スマートフォンとモバイ
ル系などなどの書籍が一斉にページを広げて、わたしの目線と思考が絨毯爆撃しながら要所をピックアップするのを待っている。
ジャンルの違う本たちのなぜか要所要所が「ここ!ここ!」と光って浮かび上がる。
あっちゃこっちゃそれら独特なリンクを掬い上げようと記憶だけを頼りに辿っても、まさに、「虹の階梯」(中沢新一)、p.78
第3項を噛みしめる結果になる。
やっぱりいちいちメモしたり、カット&ペースト、(口絵むかって左↑)
まんまその部分をデジカメしたり、
とーとー禁じ手、ページの縁を折ったり、さらには線を引いちゃう、
さらにさらに絵+テキストにしちゃう(口絵むかって右↑)。
(あ、お断りしておきますが、ここで撮影された書籍は、すべて個人所有のものであります。)