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理を行ずる全体に公開
2007年02月09 日09:47
▼へーっくしょ!、きたきたきた、花粉がきた。
明日から茨城の鹿島神宮へ寒稽古に向かう。今年は暖冬だから、防寒グッズの嵩を少し減らせるかな。
みっちり業(わざ)の充満する場と時を満喫するつもり。

最近ものすごい乱読状態だけど、良寛詩集が手放せない。
特に、気にいった一篇の詩を書き写してるときに、テレビで久々石井裕@MIT(マサチューセッツ工科大学)の、近況を知っ た。
彼が「世界の石井裕」をめざして旅発った1996年の前年、彼と知り合うチャンスがあった。
番組の中で、MITのニコラス・ネグロポンティが彼に言ったという台詞がなかなか印象的だった。
「君が取り組んできた研究の面白さはわかった。でも、MITでは同じ研究は絶対に続けるな。 まったく新しいことを始めろ。人生は短い。新しいことへの挑戦は最高のぜいたくだ」。

当時「クリアボード」などのコラボレーションシステムが評価され赤丸上昇中だった石井裕のような人間にとっては、この時にこの言葉は 最良だったのかもしれない。

うむ。
これをさらにわたしなりに解釈すると、飛行場の滑走路にでても、どんどん速度だけは増すが決してと飛ぶことのない高速バスのようなも のになってはダメだ。
制作には、ある密度や肌理(きめ)は必要だけど、手離れ悪くやってるとぬるくなる。それで終わってしまう。
リブート;再起動を決して、飛躍して!ってことかな。

年々歳々、ますます再起動を決する必然に迫られる。
そんな環境を自らに引寄せるあるいは飛び込むための闘争心を鍛えること、未踏領域に踏み入ることにわくわくするセンスを曇らせない日 々にそっと連れ添ってくれるように良寛さんの詩がしみる。

【良寛詩集 p.125 入矢義高 訳注 東洋文庫/平凡社】
写真

言語は常に出(いだ)し易く 
理行(りぎょう)は常に虧(き)け易く
斯(こ)の言の出し易きを以て 
彼(か)の行の虧け易きを逐(お)う
弥(いよい)よ逐えば則ち弥よ虧け
弥よ出せば則ち弥よ非なり
油をそそいで火聚(かじゆ)を救わんとす
都(すべ)て是れ一場の凝(きょう)のみ
理を言葉で言うことは常に言い易いが、理を行ずることは常に欠落し易い。そこで人は言葉で言う ことの易しさでもって、行の欠落し易い点を追っかけたがる。しかし追っかければ追っかけるほど欠落し、言葉で言えば言うほど駆けちがってしまう。火事を消 そうとして油をぶっかけるとは、まるで愚の骨頂というものだ。


★理を行ずる
「理行」は普通には、理法とその実践をいう。「理行(または行解)相応」が両者の契合をいい、またダルマの「二入四行論」に理入と行 入をいうのもそうである。しかしここでは行に重点があり、理の実践または理に称(かな)った修行の意




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