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岡本太郎、その才能の振り子全体に公開
2007年03月06 日08:15
▼岡本太郎が、じわじわきている。

 日本のメディア芸術100選の自由投票で、われわれのカンブリアン・ゲームを おさえて一位に輝いた「岡本太郎」。ああ、あのテレビで「爆発だー」と言ってたコミカルなおじさんね(わたしの世代は大方こんな印象だとおもう。)。

しかし、去年の夏、季里ちゃんとのデートでたまたま立ち寄った「岡本太郎 美術館」で偶然知った。
”コミカルなおじさんね”なんていうのは非常に偏狭なイメージだってこと。彼は、まず一流の民族学者で写真家でもあるのだ。

【1957年、秋田駅にたたずむ女を撮影、イ・ケ・テ・ル,,,,】
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【1959年、久高島のノロを撮影、縄文土 器や沖縄研究に熱中したころだろうか?】
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岡 本太郎が撮った「日本」(毎日新聞社刊)
 岡本太郎の親しい友人にも、マン・レイ、ブラッサイ、 キョパ等など、名を挙げて行けば写真史に残る、錚々たる連中がごろごろしている。太郎に写真の手ほどきをしたのは、教え魔のマン・レイだというし、ブラッ サイは親切な兄貴のようだったらしい。キャパは、まだ、キャパになる前の、アンドレ・フリードマン、無名の青年の頃からの附きあいだ。(岡本敏子)


あらためて岡本太郎という才能の振り子をみつめると、おもわず彼の催眠術にかかってしまいそうだ。
太郎がうまれて(1911-1996)これらの言葉が機関銃のごとく発行されて50年、時を経て、今、新鮮にわたしを撃つ。

若いころ、ただ芸術家であり絵描きであるということが、何となく空しく感 じられた。熱情的に奔放に生きるのはいい。しかし人間として、それと反対のモメントを同時につかまない限り浮いてしまう。現代はとりわけ、そういう時代な のだ。
画家でありながら、絵筆を捨てて数年間、ソルボンヌやミューゼ・ド・ロンムにこもり、およそ芸術表現とは正反対な民族学(文化人類 学)、哲学、社会学を勉強した。私自身はそれによって、全体的に生きることの意味をつかんだように思う。

(対話:岡本太郎 泉靖一「日本人は爆 発しなければならない―日本列島文化論」


【かつてないほど付箋が生える太郎の著作物】
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★口絵は、太郎映像、、写真集他、太陽の塔ポスター

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