▼岡本太郎が、じわじわきている。
日本のメディア芸術100選の
自由投票で、われわれの
カンブリアン・ゲームを
おさえて一位に輝いた「岡本太郎」。ああ、あのテレビで「爆発だー」と言ってたコミカルなおじさんね(わたしの世代は大方こんな印象だとおもう。)。
しかし、去年の夏、季里ちゃんとのデートでたまたま立ち寄った
「岡本太郎
美術館」で偶然知った。
”コミカルなおじさんね”なんていうのは非常に偏狭なイメージだってこと。彼は、まず一流の民族学者で写真家でもあるのだ。
【1957年、秋田駅にたたずむ女を撮影、イ・ケ・テ・ル,,,,】
【1959年、久高島のノロを撮影、縄文土
器や沖縄研究に熱中したころだろうか?】
岡
本太郎が撮った「日本」(毎日新聞社刊)
岡本太郎の親しい友人にも、マン・レイ、ブラッサイ、
キョパ等など、名を挙げて行けば写真史に残る、錚々たる連中がごろごろしている。太郎に写真の手ほどきをしたのは、教え魔のマン・レイだというし、ブラッ
サイは親切な兄貴のようだったらしい。キャパは、まだ、キャパになる前の、アンドレ・フリードマン、無名の青年の頃からの附きあいだ。(岡本敏子)
あらためて岡本太郎という才能の振り子をみつめると、おもわず彼の催眠術にかかってしまいそうだ。
太郎がうまれて(1911-1996)これらの言葉が機関銃のごとく発行されて50年、時を経て、今、新鮮にわたしを撃つ。
若いころ、ただ芸術家であり絵描きであるということが、何となく空しく感
じられた。熱情的に奔放に生きるのはいい。しかし人間として、それと反対のモメントを同時につかまない限り浮いてしまう。現代はとりわけ、そういう時代な
のだ。
画家でありながら、絵筆を捨てて数年間、ソルボンヌやミューゼ・ド・ロンムにこもり、およそ芸術表現とは正反対な民族学(文化人類
学)、哲学、社会学を勉強した。私自身はそれによって、全体的に生きることの意味をつかんだように思う。
(対話:岡本太郎 泉靖一「日本人は爆
発しなければならない―日本列島文化論」 )
【かつてないほど付箋が生える太郎の著作物】
★口絵は、太郎映像、、写真集他、太陽の塔ポスター