▼9月25日、中秋の名月。
日野のおばさんの通夜。
明治と大正のちょうど境目に生まれて、昭和、平成と95年を生きて、逝った。
お疲れさま!
だーれも泣かない。
坊さんの押し殺した声がつづく法話も、どこかかったるい。
それよりもおばさん所縁の楽しい昔話に花が咲く。
幼い頃、毎年正月には、この叔母さんの家に集結して賑やかでお腹いっぱい美味しいものにありつける元旦を迎えた
ものだ。叔母さんといっても、父の叔母だから、わたしにとっては大叔母にあたる。
でっかい体をした大叔母さんは、その頃十分おとなだった父を抱きすくめて、”ちゃん”づけで呼んで頬ずりしちゃう。大叔母さんにとっ
ちゃ父は、いつまでも10才の男の子なのだ。
傍らにはそのときリアルに10才の私がいるのにさ。
葬斎場には、
あっ!
たーくん?、
テっちゃん?
ヨーコちゃん??
へっ?
どっかのおっさんかとおもいきや従兄弟ののりゆきちゃんに、ハワイに嫁いだというショウコちゃんかな?
とまぁ当時子どもだった従姉妹やまた従兄妹たちが、すっかり大人になって続々入ってくる。
何十年ぶりだろ?
大叔母さんのおかげでこんな連中との再会を果たして、あらためてしっかり名刺交換もしてみた(笑)。
大叔母さんの亭主は、お公家さん風というかどこか左卜全(ひだりぼくぜん)に似た飄々とした人で満州鉄道勤務
だった。
彼らの新婚背かつはダイナミックで厳しい中国の風土のなか始まった。
大叔母さんは、竜巻のような砂嵐の中、大きな体に巻きつけるように自分の子や近所の子どもを抱きながら学校の送り迎えをしたのだと云
う。
そのうち大きな目からは、涙がこぼれてオイオイおお泣きをはじめる。敗戦の中、背中にくくりつけてきた女の子を
どうしても救えなくて死なせてしまった話は、毎年恒例。
だーれも泣いてないのに、この大泣きの声をひさびさ聞いたような・・・どこからか聞こえて来るなぁ。