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若林奮 DAISY全体に公開
2007年12月02 日14:26
▼知らないひとはしらないけど、知ってるひとは知ってる芸術家(彫刻)の展覧会がほんの目と鼻の 先で開かれている。
【駅貼りポスターが目に飛び込んできた。】
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【「若林 奮 DAISY 1993-1998 展」】
http://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition/next_default.htm

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週末には、神 奈川県立近代美術館の水沢勉による講演会もあるというので散歩ついでに出かける。

硬質な、鉄などつかった直線的な作品で知られてるが、今回は、ドローイングや銅版画など、平面作品がすばらし い。
すばらしいよすばらしいよ。
色や、線が楽しくてしようがない。
新鮮。


若林奮は、1975〜1984年、39歳から48歳にかけての9年間、ムサビに いた。
共通彫塑の時間、ずらっと居並ぶ教授陣の中で、杖もつかず、執拗に学生を威嚇せず(笑)、細身で上下インディゴのGジャンにストレー トなGパン姿。いつもコンパクトに腕組みしてかたっぽの手を頬にあててなでていた。
めったに言葉を発しないので、若林先生が何事かしゃべりはじめると、みな一斉に聞き耳を立てる。指導を受けてる本人も、さらにじっと 寄って言葉を拾う。

「なんだって?なんだって?若林先生、なんだって?」

短いひとことふたことを、後からみんなで吟味する、たとえその言葉が解っても解らなくてもだ。すっかり客観性を 失ってぐちゃぐちゃやってる自分の作品に、一塊の粘土をぽそっと置かれたような、あるいはカービングされたように思えて(もちろん、学生の作品に迂闊に手 など入れない。)、すっーと頭が冷える。
一時アトリエが静寂する。
でも、また、むやみに熱いだけの格闘がすぐはじまるのだか。

忘れられない先生のひとり、作家だった若林奮の消息を、最近、思いがけなく発見。
1999年〜2003年、多摩美に新設の博士課程絵画科の教授に。
彫刻じゃなく絵画学科であることに少し驚いたけど、しかしわずか4年で亡くなられたようだ。
67歳か、ちょっと早いな。

この日の講師;水沢勉曰く、
「作品発表に自らのコントロールが非常に厳しかった。そのために、死後、まだ、大量の未発表作品を抱えていることが判明した。今後、 ますます若林さんの評価が高まると思う。しかし、彼のテキストは難解です。」


 私は、私の作品の中で視覚的なことを強調し、触覚的な
ものをそれに従属させる様に試みた。私は、自分の姿勢を
基本的なものに限定し、視線と彫刻の位置を同化させるこ
とによって、ある程度、漠然とした触覚的なものを変化さ
せて見ようと考えた。それは漠然としたものが消え去った
のではなく漠然としたものそのものの存在がはっきりした
のである。私はものを見るうえで奥行きが付け加わったこ
とを知る。それは漠然としたもの自体に奥行きがあること
になる。 それと同時に、あるひとつのものが他ものより
はっきりと区別されて見えることにもなる。私にとって遠
方のものがよく見えるということは、決してめずらしいこ
とではないと知っているが、遠方に視線が進む過程に複雑
な要素や構造が加わって、そこには想像を含んだ視覚への
期待も持てると思う様になった。私は現在このことに関心
を持っている。 そこにあるものについて、又、その場所
に自分の視覚がとどく過程についてしばらく考えてみよ
うと思う。そこに表れる彫刻をDAISYと呼んでみようと
考えている。

(一九九七年「Isamu Wakabayashi」展/マンハイム市立美術館・他
 カタログ掲載テキストより抜粋)


難解?

そうだろうか?

若林奮のテキストは、マッスでそこに在る。
その塊は、そのまますっと風景のようにわたしの脳裏に落ちてくる。

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