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デジカメ考全体に公開
2008年02月24 日08:56
▼昨日につづいて、外は北西から強風。
愛用のoptioXが調子悪いもんだからさ、日記を書く意欲もさめっきり落ちて る。
修理にいっちゃってる、つまらん。
日記を検索すると2年ぶりのご入院。


あたしにとって、これを携えて『カンブリアン・ゲーム』に挑むときをここ数日、つくづく想う。
星座作用のとき、
散歩というもっとも哲学的な行為の中にアートしたSANPO1、2のとき、

ぐっぐぐぐぐっと自分の視界や、目線がデジカメと直結したと感じた瞬間、
きっとこんなかな?ザリガニや蛇の脱皮や蝶の羽化するときの
じぃーんとしみる痛みや、ヤバさや、快感は。
きっと彼らと同じようなことが自分にも起こっていると感じる。

筆を折られて数日、だから稽 古に励み、読書がぐいぐい進む。
ここの事情、心情をまさに掬いとってくれた名著名文にも出会う↓。

小林秀雄曰く、

 大切なのは、真理に頼って現実を限定する事ではない、在るがままの現実体験の純化である。見るところを、考え る事によって抽象化するのではない、見る事が考える事と同じになるまで、視力を純化するのが問題なのである。
「私の人生観」/新潮社
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中林信二曰く、

 「絵に画いた餅」という言葉があるが、道は理念や観念ではない。理念や観念として道を理論づけ、語ったところ で、絵に画いた餅で腹はふくれないのと同様、何の価値も生み出しはしない。行によってはじめてその価値が実現できるのである。行は価値を実現する行為であ り、自己の転換を可能にする行動でもある。
(「武道のすすめ」/筑波大武道論研究室)追記:島津書房から出てる?


みんなうまいこと言う。

わたしにとって、デジカメはいまもっとも手に馴染む絵筆だし、その絵筆にのせたわたしの情動を受けとめるタフな キャンバスが、システムとしての「連画」や「カンブリアン・ゲーム」なのだと想う。


写真

■いま水面下でゆっくり公開準備中の3 人によるカンブリアン・セッションがある。
揺れるハート登 崎榮一(アーティスト・美術理論家/ Art & Designモナシュ大学) 、安斎利洋(システム・アーティスト)、中村理恵子ハート達(複数ハート)
これは、そのための投稿作品;No.20070928
ま、タイトルつけるとすれば「踊る鯉」?(笑)

まだセッション名は決まってないが、近日、公開!
こうご期待!

追記:デジカメ画像に、フィルタなどの処理はあえ てしないようにしてる。
トリミングはする。
明暗の調整などは、最小限する。

コ メント

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