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コンビニエントな身体全体に公開
2008年07月10 日08:20
前回の日記のつづき
▼今日のキーワードは、”体操”について。

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 身体も一個の社会制度であるといい、知と権力は、近代において人間の「標準化」という方向をめざし、農民、市民をまるでパスタを練 り上げるように『兵士の風格』へと造形したと論ずる。
この兵士造形の具体的な方法として、日本では明治十九年、当時の文部大 臣森有礼(ありのり)が、軍隊で行なわれてていた「兵式体操」を学校教育現場に導入したとあ る(「寝ながら学べる構造学」P.100あたり)。

ここで、朝になった。
6時30分、新しい朝が来た希望をの朝が、、、ラジオ体操のテーマソングが流れる。
ラジオ体操ってさ、この兵隊体操の後継かも?とドキっとする。
おもわずスイッチを切る、かなりたっちゃんや歴史にやられたか。
もっといろいろな方向からみにゃ、、、。

さっそく地元図書館に走るとちゃんとおあつらえむきの書籍が棚にあるもんね。

「素晴らしきラジオ体操」@高橋秀実/小学館
表紙みて、タイトルみただけでなんだか皮肉っぽいものを直感する。
そしてまたも”素材上手玄米弁当”食べる。
(笑)

ラジオ体操 の起こりは、
1925年(大正14年)アメリカ・ニューヨークにあったメトロポリタ ン生命保険会社が、
保険会社利潤追求の最たる目的、
「多 くの人を加入させて、加入から満期まで
死なずに確実に保険料を払い込ませることである。」

ここに、メトロポリタン保険体操なるものが誕生する。

「さあ、早朝のメトロポリタンラジオ体操で、長生きしましょう」
「死」から「不死」へというイメージをしょった最高のラジオ広告としてインターウィーヴ(織り込み)されたとある。
そ れをたまたま当時逓信省保険局の役人が聴いていて、日本のラジオ体操が生まれたんだとさ。→ラジオ体操の歩み

話は現代へ、平成八年八月五日、「1000万人ラジオ体操祭中央大会」@千葉マリンスタジアムに飛ぶ。著者、高 橋秀実さんのインタビューに応えて熱心なラジオ体操人たち(多くはシニアなんだけど、)曰く


「ラジオ体操すればポックリいけるでしょ」

−−−そうなんですか?

「だって、ぽっくりいくには健康でないとダメですから」

                          素晴らしきラジオ体操p.211より


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