▼...........すこし遅刻気味で席につくと、テーブルの向いには
薄灰色の冷たい瞳を
したビジネスマンが座る。なんでもフランスと日本両方の血が流れてるんだってさ。
久々、ぼっさりしてられない話の内容をふんふんと聞きながらもついつい眼は、お洒落な青山界隈の街角に泳いでいってしまう。
あれっ?・・・あれっ?・・・あっれー
裏手の大きな赤い門にどこか見覚えがある。
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ひや〜・・・・こんな偶然ってのがあるものなんだろうか?
ここには、
杖道(じょうどう)をいまの世の中に広めた清水隆次克泰師範のお墓があるは
ずだ。
肝心のミーティングがすっかり二の次になってしまい、早々墓に参る。
見知らぬ人間が墓前に立って、さぞかし清水先生も困惑されたにちがいない。
そのうえ手を合わせて願ったことは、
「どうぞ10月の全国大会ではよきお相手と組めますよーに。」だもんね。
まーすみません、瑣末なことを。
神道夢想流杖道(しんどうむそうりゅうじょうどう)は、400年前に創始された武道で
江戸末期までは福岡藩に伝えられ、明治維新をさかいに衰退していくかにみえたが、
(貢献した多くの人びと事柄をうんと飛ばして、昭和から今につながるには、、)
乙藤市蔵勝法、清水隆次克泰という二人の師範が、
昭和43年の京都は武徳殿において、神道夢想流杖道60本以上ある形の
中から、一般に広く普及するために12本の形(剣道連盟杖道形)を定めて
公開演武したと記録
にある。
以降、杖道が現代武道として活きる道筋がついたと云われる。
この、まさに
古流から制定形が分かれる瞬間の、
各種資料って、
ムービーって残ってないのだろかっ!?
清水先生と乙藤先生の、貴重な演武の姿が。
残ってないのっぉ?!
昭和43年といえば東京オリンピックが終わって数年でしょ。
■英語版wikipediaより
英語力がないので内容については精査できませんが、画像豊富。
http://en.wikipedia.org/wiki/Shinto_Muso-ryu