杖道とアートT

2008年11月19日(水曜日)、東大における90分講義の記録である。
話は「型」をキーワードに、創発、アート、そして古武道、ゆるゆると広範に及ぶ。

東京大学大学院情報学環・学際情報学府
文化・人間情報学コース 特別講座「創発的ネットワークデザイン」
担当教員:安斎利洋中村理恵子
福武ラーニングスタジオ

ゲスト西野順二(電気通信大学システム工学科)

中村理恵子、安斎利洋、杉本達應、宮原美佳、古川柳子、田邊依里子、田中ゆり、新井田統、後藤一樹、木原民雄

「型」っておよそ創造的でない

中村
東大講義第7週め、いきなり「型」って言葉が出てますけど 「型」と聞いて、文字見て、まずどういうことが浮かびますか?
イメージしますか?
「型」のイメージって?
宮原
「型」、クッキーをつくるときの型。
杉本
鋳型、金型?
安斎
今気がついたんだけど「型」の上は、「刑罰」の刑だね。
田中
ポーズとか、技(わざ)
安斎
型って、語源は「硬い」かな?
宮原
柔らかくないと型に入らない
中村
自分が中に入るのか? 自分が型自身なのか?どっちからみるかによっても違いますよね。
型っていうと一斉授業とか、学校で型に嵌められるとかね、逆に、型破りとか。
絵を描いてると人真似ではないオリジナリティを常に求められてきたので、「型」というのはどちかというとマイナーなイメージなんですよ。
フーコーもいってます、身体もまた「意味によって編まれた」という点で、一個の社会制度に他ならない。いろんな志向を持った人、目的をもって作意的に操ら れやすいものだってこと。けっして個々人の自由なものではないのだと。つまり、人の身体ってのは、簡単に「型」にはめられてしまうらしい。たとえば戦争に 行くのに都合のいい兵士向きの身体、死なない身体に造形されるものらしい。あるいは、為政者が管理しやすい身体に作り上げられるものだとね。
実は、わたしラジオ体操が大好きなんですよ、いや大好きだったんです、今年ちょうどラジオ体操が始まって80年だそうですね。
田中
11月1日記念日ですよね。
中村
しかしこれも調べてみると、すっかり気持ちがくじかれてしまった。 ニューヨークにあったメトロポリタン生命保険会社が、「保険に入った人が、 なるべく死なないように。病気にならないように。」保険金をなるべく支払わなくてもいいための、皮肉な発明らしいじゃない*。それ知っちゃって以来、ラジ オ体操もできなくなっちゃった(笑)。

1925年(大正14年) 保険会社利潤追求の最たる目的、「多くの人を加入させて、加入から満期まで死なずに確実に保険料を払い込ませることである。」

「素晴らしきラジオ体操」@高橋秀実/小学館

ひとは身体まで含めて、ある目的や志向を持った人に操られやすい。そんな役目を果たす「型」ってのは、やっぱりいやだし、窮屈で堅苦しいものじゃない。
ところが、その思いが一変するようなことが起こった。

同じ「型」でも、古武道の「型」はひと味違うぞ−杖道(じょうどう)との出会い−

中村
今日の講義のタイトルは、正確には、「創発と型-ある日、あっちからやってくる師匠がカモねぎにみえた-」
実は数年前から、杖道(じょうどう)という古武道にはまってます。最近は絵も描かないで杖道ばっかりやっている(笑)。
タイトルの師匠ってのは、杖道の師匠のことね。
ぎゅっと詰め込んで、圧縮してみなさんに杖道の真髄をみせちゃいます。一気に杖道説明、いきます!。
杖道、直感的にこれから来ます、流行る予感してます(笑)。

(講義では以下のDVDを使用、1)についてYoutubeに公開されてるいるものをリンクする。他、2)、3)については、非公開。)

http://www.youtube.com/watch?v=tfb3jQkfLoU

1)ビデオ 杖道(45分 昭和63年7月全日本剣道連盟)

「着杖」〜三本目くらいまで。基本的に素面です、面、小手はつけない。これは教育的、全国普及を目的につくられたビデオで、1970年代制作ですね。演武 している先生方は、ほら、コンサートなんかでよく使われる日本武道館、そこにある武道学園の先生方ですね。現在60代〜70代ですが、みなさん現役、元気 で活躍中です!。
田邊
剣道の一部なんですか?
中村
杖道は、全日本剣連連盟の中に所属してるんだけど、剣道とは違います。剣道は、試合でどこを攻めてくるか?予測できない、ライブでしょ。杖道は、型がある、決まった流れがある形武道です。
仗道と書く時代もあったらしい。
今 は、木へんに、丈とかいて「杖道」ですが、かつて戦時中、人へんに丈の時代もあったようですよ。前者は、怪我したり障害ある人を支える文字通り杖の意味、 人へんはもっと精神とか生きかたを追求する武道的な意味として、使われたらしい。杖道は、400年前に始まって明治のはじめまで福岡、黒田藩の藩外不出お 留置武道でした。
さきほどの制定形は、これをもとに普及目的で研究公開された、いわば現代杖道です。昭和43年に定められたものでまだ40年くらいしか経ってない。本来、 神道夢想流杖道っていうのは、もうちょっと違う雰囲気持ってます。現代の杖道に対して、古流ともいわれます。次のDVD、岩波映画っていまでもあります?
そこで、これも30年前くらいに制作されました。

2)「日本の古武道シリーズ神道夢想流杖術」(29分/昭和40年代、日本武道館)

制定形と比較してみてください。申し合せて型の流れ決まってるとはいえ、真剣形、を想定して、実戦的。
制定形は12本だけど、古流になると一気に技の数、型の数ふえて72本になる。白い道衣のほう、打太刀は乙藤市蔵先生、仕杖は波止成徳先生。(鍔割、一礼、寝屋の内・・・)
表わざからはじまって中段までをみてみましょう。(一力、押詰、後杖)

3)Maitres du Budo = Masters Of the Budo(1980年頃?/仏)

次は、1980年代、フランスで撮影されたもの。超レア!
杖道はじめたころ、古への、古い世界にわけいったつもりだった。デジタルとかネットとか先端のことばかりじゃなくて、逆にこんな古めかしいこととのコント ラストも面白いかなと思った。ところが杖道ってのはすごく国際的で海外から修行にくる人たちも多い。先生たちもしょっちゅうカナダやイタリアへ、フランス へと招聘されてあっちの杖道会や稽古場に教えに行ってるんですよ。 このビデオも最近スウェーデンから杖道合宿に来日した人からお借りしまし た。すばらしい映像、撮影です。演武は、当時50歳代の神之田常盛師範とアメリカ人で武道関連の著書も多いドン・ドレーガー。

http://wpedia.goo.ne.jp/enwiki/Donn_F._Draeger
http://homepage3.nifty.com/-samidare-/ennkaku3.html

ハーバード出身の海軍少佐だったですかね?戦後間もない1945年来日。杖道だけでなく他の武道、流派も修めて数多くの著書も残してます。
後藤
ずいぶん早い動きですね。

中村
スピーディだと感じるかもしませんが、早送りしてるわけじゃありませんよ。これが、歴代の師範たちが伝えてきた杖道の動き、速さ、技のきれ、です。
「雷打」、雷を落とすように相手を打ち砕く、打ち崩す技。ここで演武してるのは、同じく神之田常盛×ドン・ドレーガー。
動きが早いねー何やってるか解らないくらい、ありがたいことに中段の「真進」という技をスローモーションでおさえてる。
このDVD、Maitres du Budo、英語にすればマスター・オブ・ブドウですよね。ほかにも優れた武道、流派の演武が収められている。もっとも古い流派に属する天真正伝香取神道流 をみてみよう、室町時代中期に創始された。大竹利典(りすけ)さんらの演武。よくみてください、木刀に鍔がないの、まともに当たったら大変!
この中で武道やったことある人、あるいは好きな人 ?
新井田
小学校の授業で一年ほどやりましけど、、
木原
中学のときね。
中村
不思議なことに、こうした映像って日本人が持ってない。Youtube にアップされてるものもほとんど海外から投稿されたもので、ニュージーランドとかイギリスとかアメリカ人が持っていることが多い。日本人のわたしたちにとっても新鮮、貴重な映像です。さらに、併伝武道として十手や捕縄、短杖、鎖鎌、剣術などがはいってます。
田邊
あの刃のない杖(つえ)のための型で、あれで闘うのですか?敵は剣なんですね?
中村
杖(じょう)ね。刀を持ってる人に勝とうって武道なんです。128cmの白樫の杖。模範演武は木刀をもってやってますが、相手が真剣をもってることを想定して、その相手に勝つための武道ですね。
木原
型に速さってのは入ってないんですか?想定されてないんですか?たとえば楽譜だったら、ここは120で弾けとか書かれてますよね。この杖道の場合は、いくら速くてもいい?
速さが競合してく、そういうもんなんだろなと。この型は80bpsでやらなきゃいけないとか決まってないの?(笑)そうしないと正しくないとかは?・・・たぶん無いな。
西野
ひとつは、武道だから相手に合わせなきゃいけないわけで(音声不明瞭)・・・。
木原
質問は、「速さは型なんですか?」ってことで。もし型なんだとするとその型の定義で、どうでもいいっていうと型じゃないのでは?西野先生の話では、「あたなとわたしに速さが決まる。」ってことで、それって型なんだろか?
安斎
順番だけが型であり、あとは勝手に決まっていくのか?。
木原
内部の人が疑問に思ってないということが、すなわち、型なんだろう。

ある日、師匠がカモねぎにみえた

中村
はじめに型ってのは窮屈でおそよ創造的でないと思ってたと話しましたが、杖道を稽古するうちに、「型」に対するイメージが変わった。「型にはめられる」などといった窮屈なイメージ、アレルギーが軽減した。マジである日、あっちからやってくる師匠がカモねぎにみえた(笑)。

杖道には、72(数え方によって)ともいわれる「型」がある、それが400年間脈々と伝えられてきてるわけでしょ。
杖道の歴代師範たちは、「型」という凝縮した情報をしょって現代まで生きてきた。「型」は、ねぎね。
「師匠がカモねぎ」というのは、師匠が、「型」というねぎを背負ったカモにみえたって話で。型と師匠がセットになって、わたしにおしえてくれてる再生装置だったり記憶メディアかも・・・が、あっちから歩いてきた!と思ったんです(笑)。

ここで、すこしその師匠たちの肖像っての準備してきました。

中村
西暦1600年ごろ、関が原の合戦と前後して常陸の国、現在の茨城県に夢想権之助という人がいて、この人が杖道を創始します。ある日、宮本武蔵と戦ってそ れまで無敵を誇った権之助が負けます。えらいショックうけてたらしい。九州は大宰府にある霊峰宝満山に参籠して修行する。すると枕元に童子が現れて「丸木 をもって水月を知れ。」というご神託をさずかったと伝えられてる。こういう流祖にまつわる神話的なエピソードって多いですよね(笑)。
その後、権之助は、福岡、黒田藩に仕えて杖道を教えたんだとおもう。幕末まで藩外不出のお留おき武道、つまり黒田藩のお家芸、企業秘密みたいなもんですよね。だから世間には、あまり知られてなかった。
では、誰が明治、大正、昭和から現代への橋渡しをしたのか?
この人、白石範次郎(1842−1927/天保13−昭和2)。範次郎さんの隣の女性、NHK大河ドラマで人気の篤姫とは6つ違いです(1836−1883/天保6−明治16)。

白黒の集合写真にある前列向かって右から3番目、この人誰だかわかります?
皆さんの先輩、東大出身、あの講道館を開いた嘉納治五郎。当時、嘉納治五郎が考えたのは「すべての武道は柔道でなければならい。」ということ。だから講道 館の風通しは非常によくて、各種武道家たちが集ってその理論と実践を盛んに研究したらしい。そこに九州から上京した清水隆次師範(1896−1978/明 治29−昭和53)も招かれて、杖道教室を開いたらしい(昭和6年ごろ)。
この清水先生が昭和から現代へ、神之田常盛先生(昭和3年/1928ー)たちへ。
( ※なお、現代の師匠、師範の系譜部分は、あくまで日常的にわたしが稽古する環境周辺のみを表している。)
彼らが育てた免許者たちをわれわれ世代が、師匠と仰ぎ教わってるというわけです。ざっと流祖から始まって幕末から現代まで、140年の流れがどうなってるかについて説明しました。
ときどき何の根拠もないですが、やってると直感的に杖道の「型」っていうのも、ひょっとしたら創発を内包したシステムじゃないの?と感じる時がある。あるいは、長い時間を経て生き抜いてきた「型」は、その時代にとって創発的な異物とし働きかけかけてるんじゃないのか?
杖道修行の最初のころ、解説書やビデオを一切見ない。せっかく東京にはいい先生たち、師範たちがいるんだから、直接高段者や師匠の技をみて覚えることを課した。
「真似ぶ」、「身体でおぼえる」、テキストやビデオなどからのイメージを極力避けなるべく直に、ライブで技をみて覚えようとしました。

身体で覚えるということ−スキルトロニクスを提唱する西野さん

中村
そんなときに、mixiで西野さんを知る。
西野順二日記をみると「型」や「真似ぶ」、「身体でおぼえ、」「ミラーニューロン」なんことが記されている。ただ、西野さんの場合は、杖道じゃない。ルービックキューブだったり、ジャグリングについて話してる。一度学祭をたずねて見学してきました。

西野日記
学ぶ、、真似ぶ

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=741380878&owner_id=4077071

身体で覚える http://mixi.jp/view_diary.pl?id=695760876&owner_id=4077071

【ジャグリング@電通大学祭2007】

 

ジャグリング@mixi日記ログ

http://rieko.jp/mixi/diary/274475534.html
今日ゲストとして来ていただいてます!。
西野さんのご専門のファジィ理論・システム科学という話はちょっとおいておいて、顧問をされているジャグリング倶楽部のことや、ルービックキューブ解法から話を始めていただきます。
ジャグリングってのは、やっぱり真似ぶ、身体で覚えるが基本?
西野
ジャグリングって教科書がないんですよ。だから観て覚えるしかない。
中村
型もない?
西野
型はいくつかあって、基本のパターンとその発展系があります。それをみて覚えるしかないです。
中村
ルービックキューブの並び、「解法を何秒で達成!」なんてこと日記に細かく記してますよね。さっそくその芸やってもらっちゃおうかな(笑)。
西野
芸!(笑)、(前にでてきて始める・・・・緊張の面持ち)
中村
いきなり来ていただいて、いきなり芸、すいません。日記みると、1分くらいで解けるんですね。どんどん早く解ける過程を日記に上げてるんですよ。いつも解法の手引きを持ち歩いてんるんですよね。LBL法ってんですか?
この手引きみてると型にみえてくる・・・

http://www.ws.binghamton.edu/fridrich/system.html

西野
できました・・・。
一同
おおお!
中村
mixi上では、西野さんは、ルービックキューブやジャグリング、わたしは杖道だけど上達のキーワードを共有しながら交流してる。
西野
フィンガーショートカット、スピードキュービングってやったことある人いますか?いまうまくいかなかったですが、実際は1分以内で解いちゃう。一番早い人は11秒くらいで。
世界大会があって5回平均で何秒か?と競う、早いと9秒くらいで、遅くても12秒くらいで。
彼らは何をやってるかというと、こうやってこやって2、3の動作を一手でやっちゃう!。フィンガーショートカットといいますけど、たとえば22手で解けるものは7回で解ける。 これ、どういう手順でやったらいいか?ってのをパターンで覚えちゃうんです。
それが型。
数学的に解いていくと正しい解き方は別にあったとしても、指でまわしたときに早くなるもので全体を構築しなおすってことをやってる。では次に、ジャグリングはご存知ですか?
一番おとなしいのから、コンタクトジャグリングって手から離さない。最低3個から・・・一個投げてる間に、1個投げて取る。それを繰り返せば手2本で3つを操れる。 
2つでもジャグリングですが意外に難しい。西洋的な3つでのジャグリング、カスケードっていいますが、これは1,,2,,,3,,,と同じ高さになげていけばいい。
中村
投げてる球、持ってみると意外に重いですね。見た目とうんと違う。
西野
たくさん投げる人が増えてきて最近は軽めの増えてきました、高く投げなければいけなくて重いと不利。これはシリコンボールといってシリコンできていて、非常によく弾むんですね。
中村
(小ぶりなりんごサイズの、)スーパーボールじゃん!。
西野
いわゆるスーパーボールです。同じようなこともできて、鞠をつくようなこともできます。(玉の数を二つから3つ、4つとジャグリングはつづく。)
中村
西野さん、しゃべりながら平気でジャグリングしてるけど、それは混乱なく?、あまり考えないでできるの?
西野
いいえ、かなり考えてやってます(笑)。はじめのうちはしゃべれません、ステージなんかで笑うと必ず落とします。
もっとにこやかにやらなきゃ、でもニコニコするとぽとぽとっと(笑)、表情つくっただけでちょっとパニック。学園祭なんかで学生がやると、非常に緊張の面持ちで口をぽかんと開けながらやったりしてます。
中村
ジャグリングで使うものって、ボールとかバトンとかシンプルな形のもの多いですか?
西野
それはいろいろです。これは最近作ったんですけど、ジャグリングのボールです。
僕は本業はプログラマーで、プログラムの技術を使ったボール。若い人に負けないようにテクノロジーを使ったボール創りました。
投げて一番上にボールがきたときに、ぴかっと光るとかっこいいな、と。こういうボールがどうやったらできるか?というのか研究なんだけど、型なんかとも関係あるかと(笑)。


【身体知研究会(第1回/2008年 9月16日)において発表している西野さん】

中村
スキルトロニクスっての提唱されてますよね。人にけっしてやさしくない道具ってのは、人をアフォードして人の能力を高めるってことかな簡単にいっちゃうと。
西野
結果として高めるかもしれないし、人も機械もそこそこのパフォーマンスで結果を出せる。機械だけが頑張るとすごくコストがかかるし、人だけが頑張るのも大変だし、それでつくったのが、これ。
中村
いまってなんでもやさしくだとか、テーブルの角でもなんでもまるめちゃってやさしくやさしくってデザインしたもの多いでしょ。そこいくと、杖道のこの単な る白樫の棒やジャグリングの玉なんかは、シンプルでなんのへんてつもないけど、実際に使い始めるとけっこう扱い が難しかったりする。でも、自在に変化したり応用範囲が広かったりする。人の要求や扱い次第で、柔軟に応えてくれる。
木刀ってのは、刀のかたちしてるから何をするものか簡単に想像できちゃう。用途が限定されている。碁石なんて置き場所によってさまざまに変化するし、役目もするでしょ、スキルトロニクスで提唱されてるのってこんな道具のイメージかなと想像します。
西野
あ、それかなりありますね。
中村
杖にもいろいろあって、日常護身用に使えるステッキサイズのものあったり鎖鎌とか十手などの併伝武道もあって、ぜーんぶ習って30年くらいすると免許もらえます。
古川
杖道ってのは、どういう背景で生まれてきたんですか?なんで棒なの?
中村
3つの役目をあわせもった総合武道としてはじまったらしい、「突けば槍、払えば薙刀、持たば太刀」四尺二寸一分、約128cmの棒で闘う。
安斎
夢想権之助というのは、士農工商でいえば何?
中村
武士じゃないかな。
古川
剣道の前に、杖道あったのかな?
中村
わからないけど、たぶん。剣道って意外に近世かな?
西野
たぶん剣のあとに杖がでてきたと想像しますが、中国の古代には、”こん”って/棍(こん)といってこの杖の倍くらいのがあってですね、棍が基本なんです よ。その先に刃をつけたのが槍で、槍ってのは武道の王様といわれて昔はそれが一番強かった。遠くから相手をやっつけられるから。
中村
詳しいな!。真剣に勝つといわれてる。杖(じょう)は、丸みがあるでしょ。角棒じゃない。古川さんがもし矢を射かけたとき、矢止めで構えると矢がこの丸みのおかげで逸れて、身体に当たらず逃げていくのだそうです。うまく使うと真剣をも折るといわれてる。
さっきの古川さんの質問にもどすと、「なぜ、杖道が起ったか?」。
戦国の世に、戦いで生き抜いてくための技術ですよね。すると傑出した使い手がでてくるわけです、天才的な武蔵とか、柳生なんたらとか。本来ならこれらの 技ってのは無形で、そのままにすると一代限りで終わっちゃう。そんな中で、天才というより秀才タイプの連中が、武者修行の途中、情報をあつめながら手合わ せして強い相手、天才ににぶつかるとその相手に弟子入りしちゃう。
そうやって懐に入り込んで、高弟となって理論を固めはじめる。
長年稽古できるような教習法、システムを編み出す。技、型に名称をつけたりする。技1,技2,技3じゃなくて、笠の下、寝屋の内、細道、、夢枕、阿吽など流れやかたちをイメージできる名称をつける。
型化する。でも、これだけじゃまだ終わっちゃう。免許というかたちで優れた人間に伝える、型化した情報を人に背負わせるシステム構築。免許者、選ばれた 人、優れた人=師範、その人がまさに”カモねぎにみえた”ですね(笑)。これが杖道や香取神道流のような流派が興り今に至る背景かなと思います。
ここでわたしの悩みを聞いていただきたいんですが・・・
(あと15分ですと安斎さん)核心への道のり、まだ半分しか行ってません!(笑)。
真似ぶって、ミラーニューロンのこと?
西野
観ていると自分がやったような反応が起る。
中村
優れた見本をみればみるほど?
西野
自分がやったような体験が得られる。
中村
優れたお手本をただ見るだけみて杖道ずっとやってましたが、制定形(現代的 な杖道)やってるうちはそれでもなんとかなったけど、古流はじめたら壁にぶつかった。型の名前は覚えられないわ流れはおぼえられないわ。杖だけでも大変な のに、途中、「仕・打交代!」とかいっちゃって、杖と刀が入れ替わる。杖だけでなく太刀もやると、型の数は倍になるしますます覚えられない。
人生ではじめて敗北感味わいました(笑)。
このときはじめて教本を開きました。

複雑な「型」習得に、最適な譜の創造

中村
なかなかよさそうな本もあります。稽古の行きかえり、要点や動きを言葉にしたり絵にしたり図にしたり。
さっきの教育的ビデオもじっくり何回かみた。でも入らないからね、なぜだろう?

【入門書、教本、図解入りの豪華本までさまざまみる。】

はたと気がついたのは、あれらは杖道を知識として得るガイドブックで、実践するとき、あの角度からでは不十分だってこと。相手がどう斬ってくるのか、ス ピードでくるのか?という本当に対した時のタイミング、間みたいなものを切実に知りたい、解かりたいのだってことが解かった。

そんなこと反復できる、振り返って吟味できるようなわたしのためだけの棋譜のようなものが、ほしい。
観客目線じゃなくて、真正面から斬ってくる相手、応ずるわたしの目線、空気を再現できないかな。

まずやったのが、やたらに人の後ろに回りこんで視る、写真撮る。
視たい地点、角度を探すと、肩越し、真後ろに回りこむことになる。








神之田師範×大里師範@日本杖道会

次にカメラを身体にくくりつけて撮影してみた。
勝手に「真っ向正面撮り」なんて名称つけて、テスト的な撮影を繰りかえしてます。2008年、自主的な夏休みの宿題を課して簡単な装置つくったり(子供用 ヘッドギアに穴あけて薄くて小ぶりなコンパクトデジカメセット)、撮影。ハンズフリーカメラを試作、身体に装着して、数分程度撮影する。

ハンズフリーカメラ試作@mixi日記ログ

http://rieko.jp/mixi/diary/902432333.html

自分も動く、相手も動く、ぶれるぶれるが、美しい、、、おもいがけず。














太田三段@多摩杖道会

静止画で飽き足らず、
タイミングやスピードが少しはわかるか?と思ってね。





ムービー 「真っ向正面撮り」


ヴァーチャル杖道@mixi日記

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=942168393&owner_id=64544

創発的アートと武道−杖道と連画って似てない?−

中村
つまり「型」ってものの新たな価値にめざめたんですね。「型」の豊富な杖道にますますのめっております!
一気に話飛びますが、連画について。型にうらずけられた杖道と連画って似てるなと思いました。
これも直感的。
連画も杖道も、相手がいる、そして対話的。だけど、和気藹々じゃない、闘争的、熾烈な戦いが含まれている。

リハビリの研究者で森岡周さんもいってます、話またまた飛びますが(笑)。

「脳は単独で活動することはできない脳をもつすべての生き物すべてにいえることだが
脳は誕生したときからずっと自分の仲間の脳とコミュケーションし学びあうという役割を担ってきた。」

『ロマンティック・リハビリテーション』/ 大西成明写真集

【fNIRS(機能的近赤外分光分析)】

これこれ、この言葉が響きました。学びあう、影響しあう、
ああ、連画じゃん。


「連画」と型に支えられた「杖道」。「連画」って創発的だと思いません?創発が含まれてるとおもわない?

【連画、創発、型の関連図@カンブリアンの庭】

安斎
創発そのものだよね。
中村
連画が創発そのもの?連画の中に創発性がある、連画と型に支えられた杖道ってのは、似てるかもしれない?
型と創発ってのは、型に創発が含まれているの?型自体が、創発的な何かかもしれないという仮説が成り立つか?
安斎
普通は逆に感じるじゃん。型ってのは、はめられると思ってる。創発ってのは、はみ出すんじゃないのか。
普通の語感でいうと逆なのに、あきらかに逆ではない関連がある。たとえばスキルトロニクスだと、スキルってのは型でしょ。しかし創発的なスキルもある。
なんか関係あるけど、じゃどう関係あるの?ってのを、うまく説明できない。
中村
安斎さんうまいこといってましたよね、いわく「型って罠の集積だよね。」
安斎
そうそう、杖道の型は相手を誘い込む罠の集積だよね。
中村
連画にも相手をそそるような誘い込む作品あるよね、局所的に起る。
全体をみてるわけじゃなくて、局所的に、ごくごく至近の作品につられて連画する。結果、連画の樹全体がハイクォリティな作品群になるとかさ。
創発、型、連画ってのを関係つけちゃっていいだろか?、無理があるだろうか?(笑)
古川
創発性を含んでる型とそうでない型に分けて考えること必要かも。
安斎
僕もそう思った。
古川
ずっと話を聞いててわたしはお茶のこと、茶道のことを考えてました、お茶も結局身体で覚える。
最初にテキストみたり写真とっちゃダメよ、みたいなこといわれます。
茶道ってコミュニケーションのひとつのあり方を型にしたようなところがあるから、ベースに創発性が埋め込まれてる型なんですよね。
安斎
先週、セルオートマトンを体験するワークショップをしたんだけれど、目標は「レアな遺伝子をさがせ!」ってことにした。「レアな遺伝子」はつまり、統計的に分類できない規則のこと。
ここでいう遺伝子って、型ですよね。遺伝子の中の一部にレアなもの、創発的なものが含まれている可能性がある。セルオートマトンを研究したスティーブン・ ウルフラムはタイプ4と分類している。タイプ3までは、死んでしまったりカオスだったり。しかし4番目の型は、創発的で、なんかいろんなものが出てくる、 と。この前のワークショップの目標は、稀有な遺伝子を見つけよう、ってことだったわけで、型=創発ってのは、まさにこの話のこと。非常に稀に、創発的な型 があるということじゃないのかな?
西野
もうひとつだけ関連して、言葉として 書こうとするときっと型は破壊されてしまう。武道の型については、それをやる人、おかれた環境を常に含んでいる。杖道と剣道の違いは、持っている場所で、 杖道の場合は刃がないので真ん中を持ってて動きが早い。剣道の場合は端を持ってるからどうしても力が必要。それに応じて剣を避けるための杖道の動き、それ から、刃をあまり打たないように相手の手の間を狙う動きが、物理的な外側の制約として入ってくる。それによって型が生まれて、たとえ相手の武器が変わった ときにも対応できるように創発的に変化する。オートマトンの解を探したようなことを400年かけてやってきたのが、杖道の型ではないかな。
中村
武道やってると形と型、技と業、同じ 音だけどニュアンスや意味に違いのある言葉が対比的にでてきます。「形」は手順や流れを具体的に見えるかたちでいうとき、「型」は人の生き方、生き様まで 含んで全体感を意識して規範となる様式、目に見えない(「剣道辞典」中村民雄)。前者にはだから形の名として「着杖(つきづえ)」など名称がついてる。 (尚、この講義では明確に記されたもの、断りある場合を除いて、形も、型も、「型」に統一して以降もすすめる。)

 
古川
技のスピードの話に関連して、茶道にも間があって、こうやってこうやってこうやって動かすんだよっていう、絶対にこの間が気持ちいいっていう間を含んで型なのかと思ってます。
安斎
間と間合いってちがうんでしょ?、間合いってのはステップというか・・・
中村
「間」と「間合い」の違いをとりあえずいうと、前者、時間的;拍子と拍子の間、後者は空間的;余白と仮定して。
古川
手杓をもってふっとしたときにすかさず「お菓子をどうぞ」といわれるとか、ふっとした動きの合間にすっと言葉が入ってくるみたいなところがひとつのコミュニケーションになってる。
中村
按配のいい間をもった会話ですよね。対話っていったほうがいいのか。間とか間合いってのは、闘いの場にも大事なことだと思う。間と間合いのないところには、成立しないでしょ。
最後に、「連画っていつ終わるの?」ってよく聞かれる。「飽きたら」とか「締め切りあるからさ」なんて適当にお茶濁してましたが、
いまみなさんと話す中で思い当たったのは、「間合い」が詰まった状態じゃないかなと思った。余白がなくなる、詰まる、充満するといった状態。距離が取れない充実して動きの止まった状態ともとらえて、それが連画のセッションが終わるときとも考えられる。
思えば、男女のセックスも、あれも一種の「間」とか「間合い」の充実して行き詰まった状態でしょうか?
それを具現しているような韓国の映画;「寵愛」なんかも参考にしてください。舞踏家が身体の動きを演出したそうですよ。
黄色の肉体の絡みがとても美しい!。黄みの強い人の身体がこれほど美しく絡んでることにマジで感動しちゃいました。
あ、つい横道に逸れちゃいましたが(笑)。

最後の最後、間合いが詰まる瞬間、天然、真剣な猫の闘いムービー!!。
勝負がついたとき、間と間合いがつまったとき、と考えるのか。この猫たち、どっちが果たして勝負に勝ったのか?

これを充実した間の切れ間というのか?男女の睦みあいとは間逆のまさに真剣勝負。
勝負の行方、よっくみてて。もし、皆さんが審判だったら、どっちが勝ち?
宮原
黒い方・・・茶色の方が動かないから。
古川
わたしは茶色の方、
安斎
目そらしたから?
中村
早朝、やたら外で猫がぎゃーぎゃーうるさい。
なにやってんの?と軒下のぞいたら、壮絶な戦いの真っ只中ですよ。
10月に大きな大会目前にして、杖道三昧。たまたま撮った映像なんだけど、「野法(やぽん)の法則」という言葉が聞こえてくる不思議な夢みてる最中、軒下 でこれやっててうるさい。猫たちの声で起こされてカメラむけてたまたま撮影したという経緯あります。この話、SNS上に日記中しますので、みてねー (笑)。

http://rieko.jp/mixi/diary/1000129548.html
(日記ログの動画は再生しません。)

それにしてもどっちの勝ち?
後日、武道の達人にこの映像みて審判していいただきました、ご参考までに。

勝敗はどちらともいいがたいですね、格闘としてみればそれは黒ちゃんの勝ちでしょう。三毛が怖気て前足を少し引いたでしょう、あれが決定的、だから黒ちゃんはそれ以上襲うことはしなかった。立派。
でも三毛は逃げたりはしなかったし、反面勇気があり、無駄な戦いは不要と、戦わずして平和を求めるなんて人間以上です。まさに僕にはその心がほしいところ。

フリートーク・・・実はここからが本番だったりして

安斎
次の授業ある人は行って下さい、もうちょっと時間あるひとはもうちょっとこのままで。せっかく西野さんもきてることだし・・・
西野
いろいろいいたいことあります。
安斎
いろいろいいたいこと、あるでしょ!(笑)
ルービックキューブと型の関係が、わかりたいんですよ。初期状態はランダムに始めるわけですが、ふつうの解法は、このへんを狙いなさいとかあるとおもうん ですよ。次このへん狙いなさい、と。どんなことやっても、どの位置から始まっても、解法の樹の中で五月雨をあつめてくるように真ん中にいきますよ、という ルートを描くのが普通の解法だと思うんですよ。だけど、西野さんがやってるのは、どっからやっても最短距離で、キューブを操る体との関係も作用して、最も 速く解決に至る方法ですよね? ひとつのぶっとい方法があるんじゃなくて、無数の多様な経路があるということですよね。
西野
無数とまでいかないけどたくさんの経 路があるってことです。ちょっとだけ違うんですけど、ふつうのってのは例えば「横にいって下に行けば必ず行けるよ」てのがツクダ式とか雑誌に載ってる式で す。LBL(レイヤーバイレイヤー)式は、ゴールがある、それに至るには150通りくらいある。
安斎
中間状態。その中から一番近い早いものを直感する。
西野
型は、そこにいたる流れ。
安斎
ぱっとみたときに「何型だ!」と瞬時に判断するってことですか?
西野
どれが一番最短か、その場で判断します。
安斎
相撲取りが四十八手のなかから選びますよね。そういう型なのかな?
西野
型?・・・・、型だと思います。
安斎
なんかこー、すっきりしないな・・まだ(笑)。
西野
プリントにあるのは二次元なのでわかりにくいかも。三次元で考えると→は、矢印の束が河の流れの束になって流れてます。たとえると黄河に流れ込んでる。
黄河の流れは、そこに流れ込んでくる多数の支流が合わさったものであると同時にその合流した流れの水分子のひとつぶを取れば、それぞれもとの支流を流れて きた来歴を持っています。こうしてひとつの分子の流れをひとつの線とみればそのたくさんの線の集まりの束がであって、厳然として一つ一つの流れとその合間 も含んでいます。
ある瞬間をたどってみると、何本か流れの束にみえながらも正解に向かう。
何かの価値観で集められた束、あるいは流れが「型」なんだと思います。
自分の身体も日日違うし神経の伝達もちがうし、しかしこの束=「型」は、ある幅のゆらぎがゆるされてる。鋳型の「型」という固定したイメージではなく。ルービックキューブの解法についてもこの束があります。4800京あるので、解法が。
サブゴールといって途中の解をめざしてある幅がある、そこから答えにつながるような。それに至る途中も複数の線のまま、束のままで最終的には答えに至るようなサブゴール、解法を導くための束=「型」みたいなもの。
安斎
ルービックキューブの解法は、無数に経路があるけど、類型がかなり在る。それが型になる?
西野
最短22手でいくものの中で人間が覚えられる範囲で、アナロジーが働くところを探していく。
LBL式の中の、型。
中村さんが型が覚えられないということ、言葉とか、分節化ってのが関係してるとおもう。さっき描いてた赤と青で描いた・・・あれしちゃいけないと思う。
中村
どうしたらいいんだ?
西野
身体でおぼえる(笑)・・・。
安斎
言葉で分節化しちゃいけないのは、なぜ?
西野
あれは自分の言葉に置き換えようとしちゃったと思う。その瞬間に、本来の型がもってるものを潰している。言葉とか、かたちにした瞬間に消えちゃうというか、ただ、流れはあれで覚えられる。もう一回そこから脱却する必要はあるけど。
木原
根本的な話になっちゃうけど、映像(真っ向正面撮り)で撮ろうとしてるじゃないですか。映像で処理している段階で、間違ってると思う。プロセッシング自体 が分節化とか、映像とか使ってないんじゃないかな。映像で理解したり、タイミングを図ろうしてること自体が間違ってると思う。
中村
あれでいいのか?もっといい方法があるのか?ということも今日の目的。
木原
速さと時間の概念と関係してくると思うけど、テニスってわりと映像処理が利くと思う。でも剣道とかバトミントンとかは、映像で処理、研究してもきっと勝てない。試合に勝ったときって、その勝った瞬間の映像って、自分の中にないんだよね。
なかったりする、自分でみれてない。
相手が何をやったか?自分がどうしたか?ということに処理が追いつかない状況のときに、勝ててる。
たぶん映像ってのが厳しいかもしれなし、ビデオ見て「へぇ自分ってこうやって勝ったのか。」って目で見て解ってたときってのは、負けたりする(笑)。
安斎
制定形ってのは、それやっちゃってるでしょう。
中村
かもしれないね、割り切れてるから何にでも置き換えられるかもね。
しかし・・・。
制定形にしても古流にしても、入ってきた刺激を頭で判断しないで、入ってきた刺激をきなり大きな筋肉にばーんと落としてやろうとしてるのね、パターン認識 して一気に。でも、型が複雑、多くなってくると追いつかなくなってきた。それでとりあえず、真っ向正面撮りやってみたり、撮った映像はおもしろいけどあと からみても頭や身体に入らない。
安斎
あれは、実は杖道が目的というより、作品目的ってことなんじゃないの?(笑)
中村
まあね(笑)。
木原
テニスとか卓球なんかの乱打、ラリーしてるとき仲良しをずっとつづけてても大丈夫だけど、勝負は処理が違うんだ。
たぶん、決着をつけるみたいなことに入れば入るほど映像から離れていく。人間対人間、どちらかがもし映像処理の速さの一段上のレイヤーでやってたら、映像処理してるほうが負けるとも思う。
安斎
創作の起源ってさ、相手をだますことでしょ、引き込むっていうか。自分のアフォーダンスに引き込むってことでしょ。
中村
引き込めれば勝ちかな。
安斎
スポーツにしても商売にしてもいかに相手のリアリティを立ち上げて自分の思い通りにするかってことで、そこを映像にするってことは、その時点で創造的でないというか。
木原
モノにもよると思うけど、野球は球が来る前打つことはできないわけで、実はとても映像的なものかもしれない。
中村
テニスにしても野球にしても対戦をやってみないとわからないでしょ。形武道の杖道にも勝敗を決する方法あるんだ。昭和40年代から始まったらしいけど、二組が同じ型をやってみて、それを3人の審判が囲んで優劣を決める。

【全国大会決勝の様子ムービー】

西野
これ最近はじまった?この場合、だれとだれが勝負をしてるの?グループ対グループ?、個人?
安斎
これ制定形?どっちがうまく立ち合うか。
木原
これ、素人でも審判できるかもね。
古川
これさっきの猫のと一緒のような気がする。
中村
横のチーム意識するな、敵は目の前、自分との戦いだ!とかいわれちゃう(笑)。
安斎
意識するな?相手チームに勝とうと思うなって?
中村
でも、横の気配とか目にはいっちゃったりするけどね。ずいぶん入れ子で複雑なトーナメント方式を考えたもんだ。しかし今の若者には、トーナメントとか段位制度がモチベーションになるという考えらしい。
かつて、これらの仕組みないときは、どうだったのか?ってある大先生に聞いてみたら、「昔はこれとみこんだ師匠に弟子入りして長い時間をかけてともに技を練ること、生きること。」だったそうです。
安斎
でもさ、夢想権之助は、相手との勝負でしょ。技を練る前になにせ相手に勝とうとするでしょ。
中村
うん、でも1600年以降、江戸時代、戦国時代終わって真剣勝負の機会がなくなって、いかにいざって時のために戦闘技術を継承するか、いかに相手との間や間合いを美しくとか、迫真的に寸止めできるかという洗練の方向になったと思う。
宮原
中村さんのさっきの映像みるとスターウォーズの剣みたい、棒振る前にぶーんと音がする。
(一同笑)
斬るぞって前にブーンって二重に音がする気がする。実際には鳴ってないかもしれないけど、たぶん空気の動きが音になってるのかもしれない。
中村
もう一本、多摩で撮影したもの、もうちょっと解像度いいのみてみましょうか。
新井田
映像としては、真っ向撮り、めちゃめちゃ面白いですよね。
中村
でしょ!
木原
似たようなものとしては、ATRの人たちがやっているピアノ弾くときに、弾いてる人の目線でやると覚えやすいという研究がある。ジャグリングなんかも肩越しの映像あるとできるのかもしれない。あと、F1が、ドライバー目線でしょ。
安斎
たぶん勝負を横から見るのが、楽譜と同じ映像的な記憶なんだよね。自分の目線は映像的でないんだ、もっと触覚的っていうか・・・。
木原
勝ってるときはたぶん映像として撮れて無いんだと思う。
宮原
もし、見てるところだけピントが合って周りがものすごくぼやけているってのが撮れるならば、たぶん中村さんがほしいのは、見ているものだけが見えてて、それ以外はぼやーとしてる状態のものが(音声不明瞭)。
安斎
志向性がどうか、意識がどこかわかるような映像?
宮原
たぶん相手の目なのか?身体なのか?ってことは、やらない人にとっては先端に意識がいってるのかな?たぶんやったら感覚が違うとおもう。
木原
なんで子どもってサッカーのシュートのお手本みると、とくにセンスのある子って同じことが一発でできる。横からしかみてないのに、それだけで自分はできたりするよね。
宮原
ここにまったくスポーツのできない人がいるんで、まずこの人に意見聞いたほうがいいかも。(一同笑)
杉本
(音声不明瞭)
木原
別れただんなの娘の寝相がだんなと同じなのはなぜか?って話あって(笑)。
安斎
なにその話?(笑)
木原
ちょっと手を身体に挟み込んで寝てたんだって、それが父親そっくり。きっとそれは、その子がお父さんの寝姿を一度でも見てれば説明できるんじゃないかって話。
中村
単に形質的な話じゃないの?、腎臓が弱いとかさ。
西野
それと関連して、さっきの杖道の話は、カメラじゃなくて、手の感覚がすごく重要なんじゃないかな。
木原
子どもってなに?って話かな、右手が触るとうれしい体質とか。
安斎
ミームなのかな。遠まわしに何かジーンが影響しているとか。
木原
遺伝ですか、別れた奥さんにフィルターかかってたってだけか(笑)。
さっきの、ルービックキューブの解法でやってた3手とかという話と、茶道で袱紗とか紐の解き方、結び方とまったく同じ、似てるんですよ。
中村
茶道より昔に、「闘茶」ってのがあったらしいじゃない。お茶で戦うルールがあったのか?ちょっと想像できないけど。

闘茶(とうちゃ)とは、中世に流行した茶の味を飲み分けて勝負を競う遊び

Wikipediaより

安斎
能とか狂言の世界で、ズボンは必ず右足から履けとか決まってるらしいよね。それを徹底的にたたきこまれると、それがなんだか活きてくる、それも型だよね。
木原
連画が終わる話と、生け花を生け終わる話ってけっこう近いものがある。
中村
間が詰まるじゃなくて?飽きるじゃなくて?
安斎
連画が自然に終わるときはあるけど、連画、終わらないじゃない。SANPO(カンブリアンゲーム)は、サーバーが重くなると終わるしかないでしょ、どこで終わっていいかわからなくても。だけど連画もカンブリアンゲームも、原理的には終われないじゃない。
西野
「終わりがない」に賛成。いくらでも創発していけると思うんですね、人間の体力が続く限り。
中村
そこには、継承してる何かがあるのかな?つづいていく何かがあるのかな?型ってシステムじゃん。
西野
それは個々に。
中村
仕組まれている?
西野
たぶん。
木原
杖道って記名性はあるの?
中村
記名性って何?
木原
茶道だと、袱紗のたたみ方でだれに教わったかわかる。
中村
杖道にも清水流、乙藤流;福岡の流れとかあるみたいよ。見る人がみれば攻めの間や間合い、型の流れのわずかな違いや特徴でわかるみたい。
杖道の面白さ、どうして狂ってるか、少しは解かったかな?
安斎
かなり(笑)。あのフランスで撮った記録がよかった。
西野
杖道は、刀に勝つために考案されたんですかね?
安斎
ですよね、DVD観る限り。
西野
日本刀は、世界的によく斬れる刀なので・・・。
安斎
相手をおさえてく?
中村
急所を突く。ここ、ここ、ここ、ここ。

【神道夢想流杖道当身之図/杖道入門/神之田常盛】

寸止めしているけど、本当は「打ち砕く」という心意気で!、実際あたったら大変だよね。
杖には、前も後ろもない。具体的な用途を強いてないし、イメージを限定もしない。
駒の動きにいちいち意味のある将棋より白黒の石を置く囲碁が好きだし、剣術よりも杖道が好きだし。
何にでも変化する道具の持ってる力ってのかな、なにしろ白樫の杖をにぎると、すっと気持ちがよくなる(笑)。
西野
今日すごくいいたかったことは、道具を使うと人間の身体の限界がみえてくる。これ以上回らないだとか、いかに解決しながらつづけていくか、ここで人間は発展していくんですね。
中村
みんなすごく誤解している、日常の動きがすごく自由であるって。でも、限られた動きの中だけで生きてて実はまったく動けてないってことを。

後記

 90分講義録を(いまごろ!)音からおこした。話し言葉そのまま、発言者に確認したうえで最低限の修正と訂正を加えた以外は、ほころびは綻んだまま状態 で公開する。今後の講義に活かしたり、また「武道とアート」の初回としてシリーズ化したいと思っている。
 東京大学情報学環で受け持っている「創発的ネットワークデザイン」は、安斎・中村が連画やカンブリアンゲームを通して得た型に縛られないアートの思考 法を、受講者といっしょに噛み砕いていく講座だ。そのシリーズの中に、私はあえて型のもつ逆説的な自由さを持ち込んでみた。
杖道の型は、稽古がすすむほど野性味をおびてくる。言葉にもいっそうなりにくく形をよちよち真似ぶだけでは満たされない。自らの体のバランスや癖のよう なもの個性とでもいうのか、そうしたものと出会いわたりがついたときいっそう「型」が輝きを増すようにも感じる。新たな何かが強く美しく現れ脈打つような、 そのプロセスに創造性がほとばしるという印象である。


2009年9月9日多摩にて   中村理恵子


■関連情報・参考文献

【中村日記】

1)mixi日記ログ:コンビニエントな身体 
http://rieko.jp/mixi/diary/864986992.html
2)mixi日記ログ:コンビニエントに週明け
http://rieko.jp/mixi/diary/861916693.html

【杖道について】

杖道@wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/杖道
神道夢想流杖道@英語版wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Shinto_Muso-ryu

【形と型 】人によってさまざまなとらえかた、解釈がある。

1)「形」は手順や流れを具体的に見える かたちでいうとき、「型」は人の生き方、生き様まで含んで全体感を意識して規範となる様式、目に見えない。

(「剣道辞典」/中村民雄)

2)形には、かたち、模様、あとかた、形跡、抵当、担保などの意味があり、外形、外容、形態、物件など、いわゆる外に現れたかたちである。そして「か たち」は「かた」と「ち」から成り立ち、「ち」はいのち(生命)とか、ちから(力)などの「ち」とつながり「生命の根源的エネルギー」を意味するという説 もなる。いずれにしてもかたちは様式・形式としてのかたちが結びついてかたちとなる。
一方型には、もとになる形、手本、ひな型、模型、芸能などの一定のしぐさ、武芸などの一定の動作、しきたり、慣例、タイプなどの意味があり、型には「鋳 型」や「型木」などの語が示すように、他のものに等質的に移し、写される性格を持つ。そしてこれは、時間的過去のものを現在にうつす時にも用いら れ、武芸、芸能の達人が残した型を後世の人が学んで、外型によってそれをとらえようとする場合がそれにあたる。
このように武道において先人から、われわれに伝達されてるのは「型」の概念としてとらえられよう。 「形」は、実際に表現され、具体的なかたちとしてとらえられる場合の概念といえる。したがって、武道のかた、古流のかたなどという場合は「型」であり、 「日本剣道がた」(中略)なお、具体的な一定の形態を指示する時は「形」を使うのがよいであろう。

(「武道のすすめ」中林信二)

3)かつて私は名古屋に行く車中で、講道館館長の嘉納治五郎先生が「形は碁の定石と同じく、武道として最も大切なものだ
といわれましたことを、いまさらのごとく思い出しました。そして「形は死物にあらず生き物だ」と。

(この道50年「武道評論」連載/清水隆次/昭和39年)

【夢想権之助像をさぐる】

1)「海上物語」

(著者:恵中 Echu/寛文6年;1666年)には、宮本武蔵との対面場面が語られている。そもそも『海上物語』というのは、一般の人に禅念仏をわかりやすく伝えるために物語仕立てにした問答集のような体裁をとっている。

この物語は明暦二年八月、彼岸の中日長崎を出港する客船が薩摩潟に到着する人、百姓、女性等17名の先客との間に交わされる問答を通じて、禅念仏の 理が唱導され、この逐一を傍らで聴いた筆者が描出するという構成をもつ.時間、場所、人物、内容が集約的機密性をもつ、(中略)こうした問答の形式は、教 訓啓蒙の典型として、『塵滴問答』などに発し、『七人比丘尼』(寛長十二年)『清水物語』(寛永十五年)『祇園物語』(寛永年間)『大仏物語』(寛永十九 年)(中略)一連の問答体教訓小説の伝統を受け継ぐもので、質問者、解答者、質問者相互などによって行われる質疑の記録と筆者の感慨ないし批判によって構 成されるのである。

(「海上物語の研究」青山忠一 http://ci.nii.ac.jp/naid/110006178589/)

「海上物語」原文の中から、先輩の武士、宮本武蔵に若輩の権之助が血気盛んに挑んで・・・「参りました!」となるシーンがあるので抜き出してみる。六尺とあるのだから×30.3cm=180cmはあろうかという大男ということになる。ホントに?!

六尺ゆたかの男の。大刀をさし。我におとらぬ。弟子共を。八人まで。つれゐたり。彼権之介も。名有者にて。内々聞及ひし所に。殊に。大勢にて来れは。武蔵が弟子共。おのゝけを、たつる事。すくなからず。
折ふし。弟子二人。付居けるか。爰を一命と。さわきて。
此よし、かく、と云
武蔵。楊弓を、けずりて居けるが。
是へ、いらせ給えと云。
即ち、弟子共。権之助を、請じければ。其器量。人に勝れたる。
大男。座敷へ。むずとなをる。
折しも。六月の事成に、羽二重の。ひとえの羽織に。大きなる。朱の丸を付。かたさきより。帯しまでに。兵法天下一。日本開山。無双権之助と。金を以て。書きたるを着たり。八人の者共も一面をなをる。

2)漫画『バガボンド』( 18巻 2004年 井上雄彦)
  
に登場する夢想権之助像は、めちゃくちゃ派手で青い若者といった印象。海上物語のテキストをかなり参考にしてるのかもしれない。

3)小説『捨剣』 夢想権之助」(佐江衆一/新潮文庫1995年)

宮本武蔵に打ち勝つ事。それのみを念頭に鍛練を重ねた兵法者がいた。夢想権之助は、香取神道流の印可を受け、一刀流、馬 庭念流など様々な流派の奥旨を得て武蔵と立合ったが、あえなく敗れてしまう。剣を捨て、諸国を遍歴するうちに、権之助は、杖という新しい得物に出合う。幾 年かの苛酷な鍛練の末、数々の秘技を会得して、独自の杖術に開眼する。そして、権之助は再び武蔵に挑んだ。

(Amazonの商品説明より)

【西野さん、ルナボール、ルナロープ実演@カンブリアンパーティ2008(Youtube)】

http://www.youtube.com/watch?v=XH8qSkBHb8Q

【スキル トロ ニクスな道具 の デザイ ン. Skil-tronics design. 西野順二】

http://www.ai-gakkai.or.jp/jsai/conf/2008/program/pdf/100303.pdf

【森岡周さん@研究者図鑑インタビュー】

http://www.zukan.tv/2007/09/28/shu-morioka/

【韓国映画「寵愛」】

監督:ヨ・キュンドン/2000年
韓国韓国の気鋭の振付家による演出、新しい愛情の表現を試みた。
★中村理恵子ホームページへ