2019/07/13学外課題:杖道観戦@早稲田 #大学,#杖道,#講座,#講義,#稽古

「わたしをメディアする」2019@早稲田メディアワークショップ:担当中村理恵子 →シラバス

【アナウンス・学外課題】

古武道体験と観戦

「第31回東京都杖道大会」及び「第20回東京杖道祭」(観戦無料、見学自由)
日時:2019年7月13日(土曜)午前10時~午後3時すぎ
場所:東京武道館 大武道場(メトロ千代田線綾瀬駅・徒歩5分)

課題:
1.昼12時~20分程度の、古武道体験への参加
2.画像とテキスト提出
国内外3万人(剣道は200万人)と云われる希少な古武道「杖道」観戦の記録:スマホ撮影 1点以上~

観戦の感想:形武道の(手順の決まった)競技ルールとその方向性を理解できたか?さらによい競技ルールはあるか?あるいは、杖道の現代社会への意義や、その可能性について。自由に述べよ。800字程度をメールで。
提出期限:2019年7月17日12時(厳守)

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課題1.「杖道体験コーナー」参加

 

 

 

課題2_a.杖道観戦画像

 

 

 

課題2_b.  はじめて杖道を観て、体験して・感想リアぺ

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会場についてからまず驚いたのが、老若男女問わず参加者が多かったということでした。なんとなく大人の男性が多いイメージだったため、自分より幼い10代の学生が大人に混じって戦っている姿はすごく勇ましかったです。また、女性でも堂々たる様子で体格に関係なく演技をしており、護身としての側面もあるのかなと感じました。
実際に観戦してみて、私の中で印象的だった場面が2つあります。
1つ目はペアの2人の役割が逆になる際に、お互いの杖を交換していたことです。それぞれの杖が役割によって形状が違うかどうかはわからないが、私にはこの行為がお互いの信頼を表すものに思えました。
2つ目は選手が入退場の際にチームメイトと対戦相手のそれぞれと礼をしていたことです。人によっては、きちんと正座をして礼をする選手もいました。敵味方関係なく礼儀を尽くす武道の世界は、いつ見ても気持ちが良いものだと感じました。
また、杖道の体験をした際、師範の話や実際にやってみての感覚として、杖が自分の体の一部乃至は延長にあるものとして機能していることがひしひしと伝わってきました。「杖が自然体の身体に馴染んでいる状態」という師範の言葉がとてもしっくり来たのを覚えています。
そして杖の両端とも尖っていないこと、そして両端共に機能するということが杖道の技術を現実社会に落とし込む上でとても大切な部分に思います。実際に相手を傷つけることなく、自分のことは杖一本でしっかり守れることに文人社会の現実味を感じ取りました。
全体を通して、ついこの間名称を知ったばかりの未知の世界であった杖道を、思いの外身近に感じることができました。やる人を選ばないという特徴にすごく好感が持てます。見識がまた新たに広がった日になりました。
Chiharu
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体育館に入った瞬間、緊迫した空気と「えい」っという掛け声が聞こえてきた。別競技ではあるが、かつて武道をしていた身としては『懐かしいな』という気持ちになった。
杖道は初めて見たし、今回の授業が名前を聞くのも初めてだった。しかし、雰囲気や所作は他の武道にも通ずるものがあるなと思った。例えば、雰囲気でいうと緊迫した「静」と一方で一気に相手に詰め寄る「動」が同時に存在する点。もっと具体的な事で言うと、道場に入る時などに使う深い礼と、相手と向き合う時に使う浅い礼を使い分けている点。移動は基本直角に、すり足で行う点などである。
観戦し始めてから序盤、私は杖を交える者同士は敵同士だと思っていた。剣道の団体戦のように敵同士が向かい合っているのもと思い込んで試合を観戦していたのである。しかし、競技者の足元の紅白のラインや、審判の紅白の旗を見るうちに、向かい合う者同士が仲間で、ペアで型を行っているのだと気づいた。向き合う者同士が味方という武道の形は初めて見たので、この点は他の武道と違う新しい発見になった。
さらに、杖道体験を通してその難しさを身を以て知った。ただ、男も女も、あるいは年齢をも関係なく同じフィールドで戦うことを教えていただき、本当の意味で「男女平等」だと思った。この精神は現代社会にも汎用できるものではないかと思う。
写真は、杖道を象徴するような杖を交えるシーンと、私が個人的に印象に残った杖を交換するシーンを写したものです。最後に、今回、この授業を取らなければ決して知らない世界を覗くことができました。本当に良かったです。
Ayame
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観戦の感想

今回初めて杖道を見学し体験しました。競技ルールも知らなかったので見ていても何が何だかわからないのではないかと思っていましたが実際見てみると意外にもルールが明確で調べなくても理解ができました。いかに美しい技や態度を見せられるかが勝敗のカギとなっていることがほかの武道とは違い興味深いところなのだと感じました。また、最初は対戦を見ていても同じ技を同じようにこなしてると感じましたが、よく見てみるとペアによって少しずつ動きに違いがあり個性がでるのだろうと思いました。

良い競技ルールについても考えてみました。審判の位置が二人白側にいて一人赤側であったため出場者の緊張感にも差ができるのではないかと思いました。ただ、4人にしてしまうと判定で半分半分になってしまうこともあるだろうから3人という人数はベストだと思いますが配置を少し変えるとさらに平等な勝敗をつけることができるのではないかと考えました。

杖道は決まった型がある中でいかに他と違う特徴を見出せるかが大事になっていくものだと思いました。自分をどのように表現するか、アピールするかということを考えさせられる場面はたくさんあると思います。この難しさを知った上で習得へと繋げることができるのが杖道であると思います。この杖道は個性というものを考えさせる1つのきっかけになると考えられます。また、男女や年齢に関わらず誰でもできることからも、さらなる個性の出し方が生み出されるのではないかと思います。杖道がこれから先伝わっていく中でどのような進化をつげるのか、現代社会へどんな影響をもたらすのかとても楽しみです。体験が思っている以上に楽しかったのでぜひ杖道をする人が増えて欲しいと感じました。

Risa
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今日は実に貴重な大会に招待して頂き、ありがとうございました。杖道体験もとても楽しかったです!
先生の演習を取っていなければ、私は杖道という武道を知ることなく、一生を終えていたのではないかと思うので、新たに教養を身につけられて、とても嬉しいです。
あと残り少ない春学期の授業も、よろしくお願い致します!

以下、感想です。……………………………………………………………

杖道のルールについて、観戦しているだけではよく分からなかった。空手で言う型のようなものという印象を受けた。型を競うということになれば、それは「美」を競っているということになり、とても日本人らしい勝敗のつけ方だと思った。掛け声は「えいっ!」というような声と「ほうっ!」というような声を使い分けているように感じた。約20分の杖道体験では「えいっ!」という掛け声のみ発したので、攻めるときに使う掛け声が「えいっ!」なのかもしれないとも思った。私は普段、あまり姿勢が良くないが、不思議なもので一本の棒を持っただけで背筋がピンと伸びたような気がした。また、非常に心が落ち着いていた。今思うと、棒を持ち、一つ一つの動作を丁寧に行おうと意識していると、棒にまるで自分の魂が乗り移ったかのように、棒の先端まで神経が張り巡らされている感覚になっていたのではないかと思う。
「さらによい競技ルールはあるか。」ということに言及するとすれば、私の答えは“NO”である。柔道や剣道と違い、技を決めたかどうかで勝敗判断をするのではなく、作法の「美」を競う競技であるがゆえに、より礼儀というものが意識されているのではないかと考えるからだ。今日、とても印象に残っている光景は、試合直後あいさつを交わし、退場した後も場外で、もしかすると試合直後に交わしたあいさつよりも丁寧に相手への感謝を伝えていたように見えた光景だ。他の武道ではあのような光景は見られないのではないかと思う。
杖道の現代社会への意義やその可能性について、今すぐに思いつかないが、決して失ってはいけない日本文化だと思った。実際、失ってはいけない重要な日本文化だからこそ、競技人口が3万人とは言え、今の今まで残っているのだと思う。知名度を上げるためには、「武士道シックスティーン」が小説から映画化され、「武道ってかっこいいんだ。」というような印象を与えたように、メディアを利用し、より多くの人、特に若い世代に知ってもらうことがより効果的ではないかと考える。
Saori
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7/13 杖道大会を見て
学外杖道体験&観戦

今回初めて杖道の試合を見て、率直に感じたのが試合中の緊張感がとてもすごいということです。

特に私がそれを感じたのが、技を決めてから杖をしまい、開始位置に戻るまでのおよそ15秒間です。その間、動き自体はとてもシンプルかつゆっくりなのに、一時も相手とのコンタクトを外さずに、目と目の力強さだけはどんどん強くなっていくような緊迫感に圧倒されました。

また、競技ルールについては、はじめ私はずっと個人戦だと思って見ていて、お互い違うことをしているのに何を競っているのだろうと疑問に思っていたのですが、途中で、チーム戦なのだということに気づき、個人の技ではなく2人の掛け合いに視点を移してみたところ、個人を見ている時は杖をつく強さやスムーズさなど力量ばかりを見てしまっていたのに対し、2人の掛け合いを見た時には、杖が相手のどこに向かっているのか、この角度で杖が降り掛かってきたらその高さで相手の杖を受け止めるのか、など杖道本来の相手を捕らえるという目的に沿った感動を味わうことが出来ました。

なので、杖道は1人1人の技が正確でないといけないのは前提だけれど、1人では成立せず、相手がいて始めて見ている方に意味がわかる競技なのだと思いました。でも、やはり見ていて難しいなと思ったのが、判定方法で、杖道は手順も決まっていて双方が同じ動きをしているので、その形のみで判断することが出来てわかりやすいとは思うのですが、その一方で評価しがたい杖のキレや発声のタイミングなど、芸術性の部分も杖道にはあるなと感じられたので、その魅せ方も評価されるべきなのかと考えさせられました。今、芸術を評価するスポーツとして、スケートや新体操などが注目されていますが、その点数化することの難しい芸術スポーツに杖道も今後含まれる要素があるのではないかと思います。

日本の伝統を体で伝えるスポーツだからこそ、今最も考えるべき競技だと感じました。
Marin
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流れが決まった試合は初めて見ました。杖道はリーチが長いが、手をスライドすることによって間合いが変わる面白い競技だと思いました。遠い間合いから踏み込んで打つこともあれば、受けて間合いを近くすることもできる。要は自由自在です。剣道などではできないことだと思います。杖道においての現代社会の意義はあらゆるものが武器なるという点でしょう。木でもいいわけです。武器を選ばないという点で現代社会では重宝されるかと思います。払うなどの力の入らない動作やリーチが長いが重さはないことから子供、女性などの護身としても役に立つかと思います。現代社会への可能性として、現代社会には太刀は使われません。むしろナイフなどの短刀が多用されることでしょう。それに対する向き合い方、素早い動きへの間合い、リーチが短いものへのわ間合いの取り方などが気になりました。稽古では扱うことはないと思いますが、現代社会で防犯として使うのであれば考えてみる方向性だと思います。
Reina
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杖道のルール自体はある程度理解できたと思うが、一方でどのような点が評価されるのか、端的に言えばどちらが勝つのかを予想するのは難しかった。迫力のある派手な動きをする男性の方が一見目を惹かれて評価されるのではないかと思ったが、シンプルながらにも正確で洗練された動きをする女性が勝っているというケースも多かった。杖道に対する知識を持てばもっと理解できるのだろうと思った。

私は小学生から高校生にかけて新体操をやっていたが、予め決められた動きを無駄な力を入れずにする点や、自分1人だけでなく相手との呼吸を合わせる必要がある点は似ていると感じた。新体操は手具を投げて交換する際にミスが生じやすく、その際に緊張感が走り、相手に合わせてその時々で臨機応変な動きをする必要があるが、その点も杖道と共通する部分があるように感じた。一方で、対戦相手と直接争ったり、対戦相手の動きが自分に直接的に影響を及ぼすものではないにも関わらず、採点式ではなく対戦式をとっているのは大きな相違点だと思った。

競技として広めるには、採点化するなどして、はじめたみた人でもなぜどちらかが勝つ/負けるのかわかりやすくするのが効果的なのではないだろうか。観戦する上ではどちらが勝つか予想することが醍醐味の一つであるからだ。しかし、これはあくまで競技として広める場合だ。競技ではなく武道という面を重視するのであれば、採点化はせずともどのような型があるのか、なにを重視するのか、等を広めることが重要である。
Wakana
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今回の杖道大会をみて、形武道の奥深さを感じることができた。授業内で杖道という言葉を初めて聞き、その実態もほぼわからないまま参加したものの、選手たちの機敏な動きや姿勢の良さ、力強い発声に引き込まれた。私は、すべてのルールを理解することができたわけではなかったが、形だけではなく、武道の基本である礼の大切さが根本にあるということが理解できた。武道を始める前の礼と終わった後の礼は大変美しく、見応えがあった。特に終わった後に四方に座り正座で頭を下げる様子、また、対戦相手だけではなく自分の味方の選手にも礼をしている様子に、日本の礼を大切にする精神が現れていると考える。私はこの大会に出場している外国人の参加者に注目した。様々な武道がある中でなぜ杖道を選んだのかに大変興味を持ったからである。彼の形は日本人であるかのようで、声の張りなども素晴らしかった。日本ならではの文化を杖道を通して得ることができるのは確かだと思った。また、後半では杖道体験を通してなぜ杖を使うのか、いつから杖道が始まったのかなどのお話を聞けた。それだけでなく、一連の基本的な流れを身を以て体験したことで精神の統一ができたように思えた。棒の先一点を見つめ、それを振り下ろすことや、一つ一つの動きが意味のあるものだということを学び、すべての武道の形に無駄な動きはないが故にあれほどまで綺麗なものが出来上がるのだということがわかった。教えてくださった先生によると、杖道では男女問わず対戦することができるという。日本では未だに男尊女卑といったジェンダーの問題が残り、まだまだ女性の立場が弱い。そうした状況に屈することなく、強くなりたいと願望する女性が増えてきている。そのような社会変動の中で、力の差を気にする必要がなく、さらには勝つことさえできる競技はまだあまりないと思うため、杖道は今後も発展していくのではないかと考える。
Mirei
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杖道を見学して理解出来たことは、全ての競技者が共通する決まった手順の型を演舞すること。競技者は攻めと守りを交互におこなっていること。打つ時には「エイッ」と、声を出し、つく時には「ホッ」と声を出していたこと。疑問に思ったことは、審判が2人いる試合と、1人だけで判定している試合があったこと。もしくは、2組の試合を3人で審判しているのではないかということ。白色と紺色の袴の違いは何かということ。個人戦ではなく、団体戦なのではないかということ。日本らしいと思った点は、試合前、試合後の挨拶だ。特に、試合後の正座しながら深々と挨拶しているところを見て、勝敗以前に礼節を重んじて相手への敬意を忘れない日本の文化が築いてきた心意気を感じた。また、試合中の緊張を感じる独特な間と、型を演舞している時のすばやい動きが生み出すリズムが、雅楽と似ているように思えた。
杖は手に収まりやすく、ちょうど良い長さだった。麺棒のような固めな木で作られていたので、この杖で打ち合うのは、とても手が痺れそうだ。基本的な杖道の型を教えていただいたが、手の動きが思いの外難しかった。手首や腕が普段はしない動きをするので、ストレッチになって気持ちよかった。また杖を持つと自然と背筋が伸びる。先生がおっしゃっていた通り、健康にいいスポーツだなと思った。杖を滑らした時の手触りや音が好きだった。
杖を振ってみて気づいたのだか、杖との距離感がつかみにくい。相手に当たる寸前で突いたり、打ったりするのは相当難しそうだ。杖道の勝ち負けを判断する基準をあまり理解していないが、相手に触れずに、しかしできるだけ近くで演舞するのが1つの判断基準なのではないかと思った。所作の緩急の付け方、杖を振る際の軌道の綺麗さも評価対象なのかなと思った。身長、体格、力強さに関係ないスポーツであるがゆえ、所作の美しさが問われる興味深いスポーツだと分かった。
Misa
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「杖道を観戦して」

私は、今回初めて杖道を観戦して、杖道が魅力的な競技であることを知ることができた。

そもそも、武道を観戦すること自体初めてであったが、数ある武道の中でも杖道はもっとも美しい競技の一つであった。その理由は、競技中の「静と動」にあると考えた。杖と竹刀がぶつかる動と、杖を脇に収めるまでの静の対比が非常に美しいと感じられた。

杖道の大会は、2人1組で演技を披露し、組対抗で演技の優劣を競うものであった。

杖道は、剣道や柔道のように実際に相手に衝撃を与えるのではなく、型の優劣で勝敗が分かれるため、どのような基準で審査されているのか不思議に思った。また、審判の中でも判定が異なることがあるなど、判定は主観性が強いことがわかった。

先週、鑑賞したインタビューで述べられていたように、杖道は人を傷つけることなく懲らしめる武道であり、それは現代社会でも求められることである。

現代では、SNSの普及による個人の匿名化の影響もあり、人の非を見つけたら構わず責め立てるといった風潮がある。そんな現代で「人を傷つけることなく懲らしめる」杖道は、重要な役割を担ってくるのではないかと感じた。
Rena
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今回初めて杖道というものを知った。私は小さいころから空手や剣道を習っている子たちにあこがれていて、自分で自分の身を守れるのはかっこいいと感じていた。最初に杖道の試合を観たとき、どのようにして勝敗がついているのか、なんで防具を着て打ち込まないのかよくわからなかった。しかし、ずっと観ていくうちに、この競技は相手を力で勝負するのではないということに気付いた。戦わずに技のきれいさなどで勝負するものは杖道以外にもある。スポーツでいうとフィギアスケートであり、武道でいうと少林寺拳法などである。技のきれいさで戦うスポーツと武道の違いは、武道は人を打って戦うこともできるがあえてそこで戦わないということである。古武道体験では、技を5つくらい教えていただいたがとても楽しかった。たった20分という短い時間でしたが、観戦だけと実際に体験してみることは全然違うなと思った。杖道の現代社会の意義は精神面でもあるとは感じるが、その技術を身に着けることで自分の身が守れるということも大きな意義といえるのではないか。
Mai
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刀でやりあう殺し合いとは違い、死を目的としていないことを直に感じることができた。この写真の時も、身体に杖をぶつけているのではなく、寸止めの状態である。私がもしこれの受けの立場であるならばかなりの恐怖と共に、絶対に殺されないという安心もまたあるのだと思い、この競技の意味の深さを感じた。また、受けと攻めのチーム戦であるというのにも、杖道の意義を感じることができた。
Aya
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杖術という武道を知って1週間も経たずに大会を観戦することになり、知識も全く無いまま、目の前で繰り広げられる未知の世界に戸惑った。初めは向かい合う者と戦っているのかと思ったが、対戦相手がずっと変わらないことに疑問を持ちいくつか型を見た後でようやく二組のペアが隣同士で同じ型を披露しているのだと気付いた。4人の選手を四角く囲むように4人の審判がつき、最後に赤か白の旗をあげて多数決で勝敗が決まることが理解できた。競技のルールは単純に指定された型をとることで、どの選手を見ても手順は同じだったため、きちっと決まった動きをすることが求められるのだと推察できる。ただし、一つ一つの動作の癖や声の出し方、間と間合いの取り方は各選手異なり、これらの美しさや洗練の度合いによって優劣が別れるのだと感じた。隣り合った対戦相手と同じ型をするので、動作のテンポや呼吸の置き方、身体の動きの軌跡などの差異がはっきりとわかり大変興味深かった。長いこと見ていると「この選手は元の姿勢に戻る際にこのくらいの時間をかけるな」など特徴が見えてきて経験も無いのに「今のは、感じのいい間だな」と自分の感覚も研ぎ澄まされていくようだった。

現代社会において杖術がどれほどの影響力を持っているかは測りかねるが、このコミュニティに属していることで現代社会の見え方が変わる可能性は十分あり得る。私自身は現代社会という大きな括りから杖道を見ることしか出来ないので「得体の知れないもの」という感覚が大きいが、杖道という小さな括りからそれを内包する現代社会を肯定的、批判的に見ることで何か得るものがあるのかもしれない。ただしそれはそのコミュニティに触れ自分もそこに入り込む必要があるため容易には達成できない。身体的な文化活動として古武道などの伝統は社会から守られる存在になりがちだが、むしろそれらの文化が社会に大きく開いていく未来が望ましいと感じた。
Kahoko
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<杖道の観戦感想>

本来戦う、となると先入観からどうしても目の前の相手と敵対する構図が頭をよぎったが、紅白で2人1組になり技の美しさを比較して勝負を決める杖道の試合は戦いというよりも一種の舞台のように感じた。人によって堂々と勢いよく動いていたり、あるいは優雅な手つきで杖や刀を扱っていたりと型を基本として個性が見えることが尚更同じ演目でも演じ手によって少しずつ雰囲気が変わる舞台と似ているように思えた。杖道の相手を殺生しない精神もこの形式に表れているのではないかと考えた。また使用する道具はそれぞれ一本の杖と刀のみであり、剣道とは異なり防具がなく非常にシンプルなことでよりその人の所作に目が行くように見えた。授業でも再三言われていた通りだが、道具が少ないということは誰もが始めやすいことが杖道体験を通じてすぐに理解できた。シンプルである分身体の表現に求められる幅が深く、きっと今日まで「道」として続ける人がいるのではないだろうか。物理的にも情報も目に見える色々な物が溢れかえっている世界で生きている自分にとって、シンプルなものから自分の想像力を働かせてものを見る、脳内VRを体験する貴重な経験だったように思う。(枯山水とかと似た類?)
Kaho
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「杖道大会をみて」

杖道の取り組み、競技を初めて見たが、おもしろかった。私は、いままで対面競技といえば、向かい合う相手と競い合うものと思っていた。しかし杖道は対面している剣と杖がチームであり、ふたつのチームが同時におなじ型で取り組んで、比べられ、勝敗がついていた。授業中、杖道は戦わない、という言葉があり、そのときはどういうことかわからなかったが、たしかに杖道では向かい合った相手を負かせたり防いだりということが目的ではないようだった。
競技をみていると、勝敗のつけかたがだんだんわかってきた。ふたつのチームを比べ、こっちのチームの方がおもしろいな、きれいだな、と思っているとそのチームが勝つことが多かった。立っているときにすっと相手に気を張っていたり、杖や剣の先がしっかり相手を貫いているような、そういう真剣味を感じるチームが勝つように思った。つまり杖道では、相手を負かすことより、対面の相手と一緒に真剣勝負をしているという共同幻想をいかに作り出せるか、ということが重要なのだろう。その様子は非常に演劇的だと思ったし、弓道でいうところの道念を競い合っているように思えた。弓道では、呼吸によって身体を大の字の形に拡張し、呼吸で的を射るようなイメージがある。弓道では残心が大事にされるが、弓道の残心はその呼吸が的に届いて、また身体に戻ってくるまでの余韻だと思う。つまり残心のない弓は、的を射るという身体の真剣味がないのである。杖道ではその身体の真剣味の大切さを特に取り上げているように思い、大変おもしろかった。
杖道体験もおもしろかった。動作自体はシンプルで、効率がよい動きのように感じた。しかし動きに一生懸命なると先がぶれてしまった。相手がいると少し想像すると、むしろ杖が安定するのではないかと思った。杖はそれほど重くなく、イメージ力が大切そうだったので、女性でも男性と変わらずおなじ土台で勝負できるのも競技としては珍しいしおもしろいと思った。
Eriko
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