山始め神事 演武

2013・1・13 、地元の里山「なな山」を守るひとびとからお声がかかって仲間と出かける。
なな山緑地の会のブログに詳しくhttp://nanayamaryokuchi.blog.so-net.ne.jp/

新春の陽光に炙りだされるように、演武する人、見つめる人々の影法師がとってもドラマチックで面白い。
霜柱を踏みしめて、やや傾斜した地面を足裏で感じながらの演武に、おおいに戸惑う。
半端な気合では、高く冷たい青い空にはちっとも響いていかない。
足の運びや、相手への攻めや残心も、ちゃらんぱらん(こんな言葉あるのか?w)ばらばらになりながら、それでも続行。
いったん始まった業の流れは、つまづいたからって空振りしからってやり直すわけにもいかないし、後戻りはできない。

だけれども、そのつたない動きの中に、古えの杖道を精進してきた人々の息使いや気配をすぐそこに錯覚する。
いつもの稽古場、床や平らな環境では決して得られない情けない気持ちと、反対に晴れ晴れしたものが混ざる。

業(技)をたっぷり錬る時間や機会は、しっかり自分に引き寄せて。
誰のためでもない、自分の時間をしっかりかけてと、お汁粉をご馳走になりながらしみじみ思うのだ。
そんな2013年の事始め。

 

本気(マジ)!みえない形をみてみたい

本気(マジ)がみえる 、本気(マジ)が起動する。

乱留(みだれどめ)演武、、死活の打ちとその軌跡 ____2012年11月29日多摩杖道会にて。
アーティストが、もっとも警戒して憎むものは、自分の作意、半端な創意じゃないかしら。
それは最初から答えがわかっている数式を解くようにも思えるから。常にいい意味で自分を裏切りたい、裏切られたいと思ってるもの。
したがって、これはラ イトアートではない。杖(じょう)の両端にLEDを仕込んで、その一撃で真剣を叩きおる、あるいは、相手の体勢ば
かりでなく心まで崩すといわれる杖道(じょうどう)の軌跡である。
観客としてみたのじゃわからない。相手と対したその本人にしか見えない、捉えれらないこれに、わたしは執着する、異常に惹かれる。
わたしの、こんな一人称をつかまえる試みは2008年ころから始まった。
杖道とアートのフォースとともにあれ May the Force of Art&JodoJojutsu be with you.

本気(HONKI)Art&Jodo,2012:乱留演武(Midaredome-Enbu)

Maybe the most carefulest things for artist is the their intention.
because it’s seem to like solving the numerical formula that you’ve already known the answer.
we always think treachery own, or want to be treacheries own.
therefore,this is not the light art.this is the track of 乱留(Midaredome)setting up LED lights at both ends the 杖(Jo).
My trial for to capture the sense what can feel only me has been about since 2008.
(With the cooperation of TamaJodo Kai/Translation by Mariko NAITO)
2015/12/1 追記 反転して作品にしてみた なかむらLab.プロフィールに使用
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