【メモ】寿命革命 身体的に11歳ほど若返っている-100年時代をデザインする-

ラジオネタ
「長寿社会の課題と可能性」NHKラジオ・文化講演会(2019/3/24)

東京大学高齢社会総合研究機構の秋山弘子さん
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/f_00048.html

人生に複数、まったく違った職業を持つ可能性
戦後、寿命が一気に30年のび、長い間の「人生60年」という概念の崩壊
社会のインフラや人の気持ちやライフスタイルも追いつかない。
しかし、75歳の人の歩くスピードは、ちょうど11歳引いた年齢の身体年齢を示す…

バリカンアート(剃りこみ):猫が喧嘩して帰ってきたみたいなヘア~

桜満開、今日は新学期スタート!入園、入学の親子連れで、街はにぎわう。
わたしも、いつもの美容院はよして、人生初の、四ツ谷駅から一番近いという「床屋」へ行く。
親子2代で営む床屋さんへのオーダーは、
「Y-3]とか、「アディダス」が好きだから三本の線入れて~

6mmのツーブロックで~
前下がりのボブで~
左右どちらの分け目でもおかしくなくて~
ワイヤレスでないバリカン(電気コードあり)の威力が半端ない。
バリバリ~
ドキドキ~

人生の仕舞方・遺言「大事なことは何もないときに決めないと。」

去年秋、2018年10月20日(土曜日)23:07、85歳11か月、母が逝った。

このBlog.を書いている2019年3月、「大事なことは何もないときに決めないと。」そんな言葉がラジオから聴こえてきた。まったくその通りだ。そしてこの言葉を、母ちゃんの死の直前、ぎりぎりのタイミングだったけど、思いっきり実践できたかな?あれでよっかのかもなと、思える出来事があった。

2018年10月13日9時、ホスピス病棟の一室で、亡くなる1週間前、奇跡的に目がぱっちりと開いた。ベットに起き上がり、お風呂に入れてもらって洗髪も済ませて、お気にりのピンクのパジャマに着替えていた。
ありがたいことに自宅からタクシーで20分くらいのところに、緩和ケア科の病棟を持つ地域の基幹病院がある。この日、病室に生花は厳禁だったけれど、大好きなカサブランカを一輪もって見舞いに行く。父もこのころは、連日見舞いに行っていた。

やせ細った膵がんの末期、痛み止めの皮下浸透型のモルヒネシートを貼りこんだ母ちゃんが、にこにこしている。目も大きく見開いて、存分に睡眠をとったような澄んだ瞳をしている。数日前、もうダメかという危篤状態で運び込んだのが信じられない。
「おとさ~ん、きてくれたの~うれしいぃ。」と亭主に諸手を延ばして手招きしている。
すご~い。奇跡だわ。
そして、今だ!となぜか思った。

わたし「遺言書こう!」
二人、そろそろとA4の紙に向かう。

母ちゃん「この度、、、ちょっとまって・・・」
わたし「そっから始めるのかい、日が暮れる」
父ちゃん「僕、書くか・・・」
わたし「箇条書きでいっしょ。北海道からオジサンたちに来てもらうか?」
二人「いい、いい。忙しいだろから。家族だけでいい。んねっ。(二人見合って)」

1週間後、夜8時過ぎ、渋谷で呑んだくれてたわたしに連絡が入って
「下血して血圧さがってきてます。すぐこられますか?」
駆けつけたときまだ暖かかったけれど、呼吸はすでに停止していた。

生前の希望通り、アイボリーのシャネルスーツ上下に、ピンクやグリーンの小花をちりばめたシフォンのブラウスを着せてもらう。胸元でゆったりしたとも布のスカーフを結ぶ。パンプスはやめて、なぜかつま先に猫顔のシルクソックスと、エナメルの鮮やかなコバルトブルーしたスニーカーを(赤い紐の、)履いて。
死に化粧は、わたしが。

死出の旅への準備がととのう。
さようなら、母ちゃん。


母ちゃん闘病日記 「死出の旅」(2018/5/22-10/20) 親族限定