家事育自 愛しのゴミ=自分の痕跡との対話

白い段ボールに適当に詰め込んだものが、押し入れを占領している。いろんな書類、記録のビデオ、制作メモや材料などなど。ここ1週間くらい、朝起きたらすぐ片付けはじめて、途中、稽古→ゴミ捨てを繰り返してます。粛々とこのペースでわき目降らずにやってます。

どうだ!空の段ボールの山!本日は、燃えないゴミと段ボール収集の日ですよ。この勢いでいくと、つい、引っ越しだってできちゃいそうよ。

慌てて捨ててないか?後悔はないか?

朝メシしながら、心の準備(今日は、納豆スペシャル+冷蔵庫内在り合わせ。あららら、買い物もいかにゃあ。庫内もすっかり空っぽ~)

先日、うっかり25年分の確定申告書類を捨てるところでした。これは捨てない。ぷ~太郎だったり、サラーマンだったり、アーティストだったり、自分の自画像のようでもあります。経済状況、大波、小波、よくぞ生きてきましたなあ。よくぞ活かしていただきました、感謝~。

不用品といってもかつては、大活躍してくれた品々だったり、元気づけてくれて勇気づけてくれた仕事や制作の軌跡なんですわ。わたしの生きてきた痕跡=ゴミ(なんていって、ごめんね)。
それらに想いを馳せながらも、せっせと捨てるものは、棄てる。もうしばらく手元におけるものは置く。

これから生きてくためにも、たらたら、休み休み、美味しいおやつやお茶しながら、時間かかります。贅沢な無駄、遊びのような作業、自分の痕跡、ゴミが、愛しいっす。

・・・夏休みは、自分を育んでみます。