去年秋、2018年10月20日(土曜日)23:07、85歳11か月、母が逝った。
このBlog.を書いている2019年3月、「大事なことは何もないときに決めないと。」そんな言葉がラジオから聴こえてきた。まったくその通りだ。そしてこの言葉を、母ちゃんの死の直前、ぎりぎりのタイミングだったけど、思いっきり実践できたかな?あれでよっかのかもなと、思える出来事があった。
2018年10月13日9時、ホスピス病棟の一室で、亡くなる1週間前、奇跡的に目がぱっちりと開いた。ベットに起き上がり、お風呂に入れてもらって洗髪も済ませて、お気にりのピンクのパジャマに着替えていた。
ありがたいことに自宅からタクシーで20分くらいのところに、緩和ケア科の病棟を持つ地域の基幹病院がある。この日、病室に生花は厳禁だったけれど、大好きなカサブランカを一輪もって見舞いに行く。父もこのころは、連日見舞いに行っていた。
やせ細った膵がんの末期、痛み止めの皮下浸透型のモルヒネシートを貼りこんだ母ちゃんが、にこにこしている。目も大きく見開いて、存分に睡眠をとったような澄んだ瞳をしている。数日前、もうダメかという危篤状態で運び込んだのが信じられない。
「おとさ~ん、きてくれたの~うれしいぃ。」と亭主に諸手を延ばして手招きしている。
すご~い。奇跡だわ。
そして、今だ!となぜか思った。
わたし「遺言書こう!」
二人、そろそろとA4の紙に向かう。
母ちゃん「この度、、、ちょっとまって・・・」
わたし「そっから始めるのかい、日が暮れる」
父ちゃん「僕、書くか・・・」
わたし「箇条書きでいっしょ。北海道からオジサンたちに来てもらうか?」
二人「いい、いい。忙しいだろから。家族だけでいい。んねっ。(二人見合って)」
1週間後、夜8時過ぎ、渋谷で呑んだくれてたわたしに連絡が入って
「下血して血圧さがってきてます。すぐこられますか?」
駆けつけたときまだ暖かかったけれど、呼吸はすでに停止していた。
生前の希望通り、アイボリーのシャネルスーツ上下に、ピンクやグリーンの小花をちりばめたシフォンのブラウスを着せてもらう。胸元でゆったりしたとも布のスカーフを結ぶ。パンプスはやめて、なぜかつま先に猫顔のシルクソックスと、エナメルの鮮やかなコバルトブルーしたスニーカーを(赤い紐の、)履いて。
死に化粧は、わたしが。
死出の旅への準備がととのう。
さようなら、母ちゃん。