祝!米寿から卒寿へ

祝!米寿 2016/6/10

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急にご挨拶が始まった・・・

家族の肖像

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ひとり爪を切る

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平和な一日がおわる。

90歳 卒寿のお祝い→北海道旅行予定 2019/6/10

2019/05/02
改元「令和」になって、
実家を訪ねて、テレビをいっしょにみているといくつかの昔の話をはじめた。
めずらしい。

その1.バナナと仔馬の話
2歳まで育てた馬を、軍馬用に帯広郊外の市へ売りに行く話:
夜中に馬を引いて先に出かけた祖父(竜吉)を追って、朝になると父と祖母(テルエ)がでかける。兄弟姉妹の中で、長男の父だけが同行したのだと自慢げに。
馬の餌と、先に出た祖父のための弁当を背負って汽車に乗る。
いい値段に売れて、帰りに何束ものバナナをお土産に買える。
「美味かったねぇ、バナナ」
このお金は、先々の貯金にする。

その2.海軍中学@札幌時代の話
小学校時代、毎年、6年間すべてに優秀な成績に賞状が渡された。
それを、海軍中学受験の時に持参して、当日の試験+効果があったのだと父言う。
札幌に1年半いて、敗戦。その間、最初の1年は、豊平川を渡った宿舎で暮らし、後半は、札幌市内の刑務所が近所の宿舎で勉強する。
道内から同じ年の中学生5人、一つ上が2人、合計7人を、海軍兵学校(内地)に入学させるべく、海軍のお金で中学時代を過ごす。
先生は、北大の学生1人~2人が当たり寝起きをともにした。
先生役の学生が海軍にはいるとまた別の北大生が父たちの面倒をみたのだという。

2019/06/30 どつかれてお母さん、泣いちゃった
父ちゃん宅へ、昼飯にメロンをもって行く。そのときに思い出した大昔の話。
若い夫婦が、芽室から足寄の小学校へ旅立ちの送別会のとき、当時の校長(イトウミチハルといったかな?)彼らの上司に当たる人間から突然胸だか肩だかをどつかれて、妻(お母ちゃん)は、泣いちゃった。あまりに突然、暴力的なことだったもんだから。(理恵子は、誰かが預かって家にいたんだったかな、、、父ちゃん曰く)
翌日の駅までの見送りの時も、その(けしからん)校長がやってきたので、村の人たちがつかまえてどこかに連れて行ったのだという。何か不満や怒りがあったのだろうか?その経緯を父ちゃん覚えてないのか?忘れたのか?なにしろ、「お母さん、泣いちゃった。」ことだけ鮮明みたい。

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